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vol.8
1999.11.09





燃えるような秋の気配に……

秋の一日、安曇野を散策してきました。蕎麦と馬刺しと山菜の天ぷらと温泉と。同じ楓でも、その色づき具合は木によってまちまちなことに改めて気づかされます。隣り合った同じような背丈の木でも、片や葉の先から茜色に染まっているのに、一方はまだ緑の先がほんのりと黄色に染まっている程度。木にも個性とか旬があるのでしょうか。それでもあと何日かすれば、山は全体に真っ赤に燃え上がり、やがて一枚の葉も残さずに落ちて行く。変わらない末路だけが、唯一誰にも等しく課せられた世の理なのです。
東京に戻って「目撃」したのは、舞台の上でまさしく鮮やかな茜色に燃え上がる一人の芸人の舞台でした。1年ぶりに観るマルセ太郎の「泥の河」。去年の今ごろ観たのはソウルの舞台でしたが、今回は渋谷のジャンジャン。ホームグラウンドに戻った芸人は、実にのびのびと得意の和芸を披露してくれました。
特に圧巻だったのは、前半1時間半近くに及んだノンフィクション漫談とも言うべき、彼の一人語りでした。来年4月で姿を消すジャンジャンとの出会いから始まって、自分の顔の話、「スクリーンのない映画館」という持ち芸を見出す前のキャバレーや温泉旅館の「営業」の話、「泥の河」が生まれるきっかけとなった「瀬戸内少年野球団」への批判、対比するように語られるヨーロッパ映画の素晴らしさ。ここでさりげなくヨーロッパの個人主義の強さと、日本の個人主義なき民主主義の脆弱さが語られます。「森の中の妖精たち」に描かれている80歳の老女がはにかみながら語る「私、、、まだできるのよ」という一言を芸人が模写すると、それだけでありきたりな映画批評を凌駕するリアルが立ち上ってきます。そして最後には、「パリは燃えているか」に描かれた第二次大戦下、ドイツ軍に占領されていたパリに入場してくるフランス軍のシーン。戦車の後に続く何十万という群集の中から自然発生的に唄いだされる「ラ・マルセイエーズ」。
そこで芸人はこう続けます。
「さあ皆さん想像して下さい。東京が他国に侵略されたとします。神奈川方面から陸軍の戦車部隊が皇居目指して攻め込んでくる。何十万という群集がその後につづいて歓声を挙げながら皇居前広場に集まって来る。その時いづこともなくあの歌が、、、、、聞こえてこないでしょう。「君が代」はこういうときに歌えないんだ。何故ならあの歌は、誰かが指揮しないと歌えないし、一言前に必要なんです。皆さん、ご起立下さい、という言葉が」
ここで会場がドッと沸いて休息なく「泥の河」が「上演」されていきます。
「もう柏の癌研でも見放された状態なんですよ」と、無理に唇の端を歪めながら話してくれたのは、開演前、ロビーにいた事務所社長の玉川さんでした。放っておけばあと半年、それもいつから数えた半年なのか、本人はもう今度の桜は見られないと言っている、、、。それでも劇場からは来年の芝居の誘いがあるし、本人もできるかぎり舞台をやりたいと言っている。福井の方の大学病院の特殊な治療を受けようと思っているけれど、注射一本10万円かかるからと本人が尻込みしていてね、と玉川さんは続けます。
僕の中には隠せないものとして、一人の芸人の最後の舞台が観たいという冷酷な野心があることを告白しなければなりません。この夜集まった約170名満員の観客たちも、意識するとしないとにかかわらず、ある種の残忍さを持った観客であることは間違いないでしょう。けれどその盛大な拍手と笑い声が、芸人には何よりの薬であることも確かなのです。舞台の魔力と矛盾を感じさせながら、2時間半の舞台は終わりました。袖に消えて行く芸人が着ていたのはいつもの藍色の作務衣でした。けれど僕にはその背中が鮮やかな朱色に染まってみえました。燃えるような秋の気配の中に、50歳になって芸と出会い、今65歳になる一人の芸人が立っています。いつまでもいつまでもこの季節が続くことを祈りながら、僕らはその背中を茫然と見送るしかありません。
芸人の最後のジャンジャンは、来年1月10、11日に予定されています。
皆さんの秋は、如何ですか?

 

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