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vol.7
11.08.2004





夢中になって

残暑お見舞い申し上げます。如何お過ごしですか。ご無沙汰いたしておりました。
ここ数ヶ月、どうにも書けない素材を抱えて、精神的に鬱屈とした日々を過ごしています。いやそれは、最初の書き出しが決まらないとか、物語の落とし所が見えないといったレベルの話ではないのです。ノンフィクションの旗を掲げる者として、はたしてこの素材は自分の手でその全貌が掬えるものなのか否か。一つの大きな事実の塊の前に、自分の行為が意味の在るものになるのか否か。書き手としての根本が問われる事態に、自分自身で応えきれないもどかしさを感じています。
三里塚。
四半世紀前から今日に続く戦場に埋まる「物語の鉱脈」に取り憑かれたのはもう3年程まえのことになります。初めて降り立った「東成田駅」。地上に出ると視界を覆う鉄条網。そこで出会ったラッキョウ作りの農民は言いました。「ここは今でも戦場だから。ついこの前まで、この建物の真上を火炎瓶や放水車の水が飛んでいったんだから」
その建物のすぐ脇には、鶴や国旗のマークがあしらわれた飛行機の巨大な尾翼が聳えています。その時はただ空港の近くとしかわかりませんでしたが、今思えばその時僕は第二滑走路建設予定地のど真ん中に立っていたのです。
あの日から3年。今日も僕の事務所には、成田問題を伝える新聞記事のスクラップがファックスで送られてきます。成田でこの問題と正面から格闘している一人の友人が、僕に向けて各紙の千葉県版にしか載らない情報を送ってくれているのです。
カタカタとファックスが音を立てはじめると、僕の中に巣くう誰かが呟き始めます。「ここにいていいのか、三里塚に行かなくていいのか」
そしてその声は、次第に残酷な響きを帯びてきます。「お前に書けるのか、四半世紀の怨念を書ききれるのか」。
窓の外には陽炎が立っても、この声を聞くと冷たいものが背中を走ります。
ひとしきりメディアからは、「暫定滑走路建設に変更」という情報が送られ続けました。その波も収まって、今は成田の記事はめったに見掛けることがありません。けれどこういう時にこそ、戦場には数多の「亡霊」たちが跳梁跋扈しているのです。闇夜にこそ、歴史は作られていきます。凪の時にそっと船を漕ぎ出す者が、やがて荒海の支配者になります。その姿を見続けていなければいけないのに。
今そこに飛び込めば討死する。けれどそのチャンスを逃せば永遠に亡霊たちを描くことはできない。
濁流の淵で、茫然と立ち尽くしたまま、春と、梅雨と、ひと夏が過ぎようとしています。「森羅万象に多情多恨たれ」という開高健の言葉を噛み締めつつ、少なくともこの淵から後退することだけはするまいと、長期戦を挑む覚悟です。

 

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