ロゴ







vol.6
1999.04.04





春宵一刻、値千金……

春、
南の街に住む学生時代の友から久しぶりの便りが届く。
封筒の中には、「国語は人間学」と表紙に書かれたザラ紙の冊子が一冊。
「生きることの意味〜私は小学校1年の頃から、学校からの帰り道、自分が動いているのか、それとも地面が動いているのかと歩きながら考えるような、へんな子供であった。2、3日家を離れるときは、今までお世話になりましたと家の方に向かって頭を下げた」
こんな書き出しに始まって、何枚かのレジュメが綴じられている。教え子の高校生に配ったのだろう。一応ページの冒頭には「山月記」「城の崎にて」「筒井つの」といった文学作品の名前が並んでいる。
けれど彼が書きたかったのは、それらに添えられた言葉たちだ。
「被害者としての生き方」「人間存在の不安」「我々はとらえの世界に生きている」−−−
変わらないな、と思う。学生時代も、激情にかられると溢れる言葉をうまく処理できずに、唐突に訥弁になる奴だった。教壇に立っていても、知識を上から下に流すことを潔しとせず、直面する人間存在の深みに足を取られている。自分がわからない。自分を知りたい。お前は何故生きているのか。俺は何で生きるのか。あの頃、そんなセリフを何度聞かされたことか。その時はただ「青い」と思ったけれど、今もまた同じ闇に生き、そのうろたえぶりを周囲に晒しているとするならば、むしろ新鮮に思える。
あの日から数えたら、もう15度目の春なのに。

春、
一本の留守番メッセージに心が凍り付く。
「弟から連絡がありました。胃がんで全摘だそうです。これから新潟に行ってきます。今回はいろいろありがとうございました」
テープには、東京駅のプラットホームの喧騒も刻まれている。今まさに、声の主、ドラマ監督鶴橋康夫は新幹線で弟さんのもとに向かおうとしているらしい。一瞬、言葉を失う。たった一月半前、僕は会っていたのだ、小雪舞う新潟の街で、その弟さんに。
「僕の記憶の中では新潟の空はどんよりしているのに、あんちゃんの記憶の中では真っ青だったというんです。そんな太陽みたいな人に憧れて、私は高校、大学、そしてサークルまでもあんちゃんと同じコースを歩みました」
チャコールグレーのスーツを着こなして、弟さんは静かな笑みを湛えながら答えてくれた。
「でも、その憧れからは途中で覚めたんですよ。だから私は新聞記者になった」
兄の豪快さ、骨太さとは逆の、穏やかな、静謐な佇まいが印象的だった。
あの時、すでに病魔は全身を虫食んでいたことになる。なんたる不覚。そしてなんたる強靭な意志。
数日後、再び監督から電話が来る。「手術は何とか終わりました。手術室から出てきた弟の指先が小さく震えているんです。後で聞くと、本人はワープロを打っているつもりだったようです」
僕が拾った弟さんの言葉は、あるいは兄に向けての、他人を介さなければ伝えられない最後の伝言だったのかもしれない。

春、
久しぶりに、ある役者と会話を交わす。
彼と出会ったのは、もう何年前のことになるのだろう。つかこうへいが7年ぶりに演劇界に戻ってきた舞台で見た、柳ジョージが歌う「青い瞳のステラ」に乗せた彼のストレートな演技が強く印象に残った。「今日子」というその舞台は、まさに彼のためにあった。それから数年間、彼はつかこうへいの作品に出続けた。
「幕末純情伝」「熱海殺人事件」「リングリングリング」
端から見たら、二人の関係は蜜月以外の何物でもなかった。
「でももうかれこれ10年になるけれど、つかさんとはあの時から一度も口をきいていないんだ。俺が芝居を見に行っても向うもさけるし、俺も会おうと思わないし。最後の公演の終盤の愛憎の激しさといったらなかったから。つかさんの舞台にはもうでたくありませんと言ったら、その日から全く口をきかなくなったから。でも今は、どんな仕事をやっていても、どこかでつかさんも見ていてくれているだろう。あの日から俺がどれだけ遠くに行ったか、見ていてくれているだろうって、そう思ってる」
僕もまたその年の春から、一つの思いを引きずっている。「今日子」が演じられた年の春、僕は一人の後輩を亡くした。田舎の小さな大学のキャンパスで、舞台に立つ時だけ活き活きと輝く奴だった。その後輩が好きだった「ステラ」をつかさんが舞台で使ってくれた。人生の神には見放されても、芝居の神様は見ていてくれたじゃないかと、墓前に報告したことを覚えている。
今年の墓参りは、もう何度目のことになるのだろう。「ステラ」に乗って登場してきた役者の今の活躍ぶりも、話してこようと思う。

春、
新しく、儚げで、小さな命が一つ、この世に生まれ出てきた。
ベッドに横たわった妻は、前夜から続く痛みを必死にこらえながら、大きな瞳からハラハラ、ハラハラと涙を零していた。
人は何故涙と共に生まれて来るのだろう。人として生きる哀しみや苦しみや辛さやもどかしさを、母親はその涙で新しい命に伝えているのだろうか。あるいはそれらを涙で洗い流して、無垢な魂として命を生みだそうとしているのだろうか。
生まれ出た子には、恵と書いて「めぐ」と名付けようと思います。経済やイデオロギーが語られる時代が終わり、一人一人のオリジンやモラールの質が試される時代にあって、勇気や希望や志や愛を、めぐみめぐまれる子でありますようにと、願ったつもりです。
本当は、妻がメグ・ライアンからとった名前なのですが。
春宵一刻、値千金。春の宵は短く、瞬きのような一瞬ではあるけれど、誰にとってもかけがえのない時となる。
そして作者、蘇軾はこう続けます。
花有清香、月有陰。
花に浮かれるよりも、僕は月の陰を見つめながら歩いて行こうと思っています。

 

Salon
CinemaSportsEnglish Articles
Works for Magazine

diary | profile | works | bbs | top
Copyright (c)2004@the bazaark ALL RIGHTS RESERVED