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vol.2
11.08.2004





扉温泉記

今週3日ほど長野群馬取材がありました。途中半日ほど時間がポッカリ空いたので、松 本からバスと徒歩で1時間ほどかかる扉温泉に行ってきました。 バスを降りて山道を30分から40分ほど歩くと、山間の峡谷に数件の山宿が見えてきます。僕は泊るわけではないので、村人が共同経営しているという露天風呂に入りまし た。250円。ちょっとお湯はぬるかったけれど、こんな贅沢はありません。
小1時間ほど湯につかって、暖まった身体で外に出てみると、手洗いの前に「よど号ハ イジャック事件」の指名手配写真が貼られているのに気づきました。最近僕はこの手のも のにうるさくなっています。何しろ今度の正月には北朝鮮紀行本を上梓する、自称アマ チュア北朝鮮ウォッチャーなのですから。んなわけで、思わずそばで便所掃除をしてい たおばちゃんに聞いてみました。
「おばちゃん、この事件もう28年も前のものなんだけど、今でも毎年警察がポスター貼 っていくの?」
それは一ヶ月ほど前、富山でも見かけたポスターでした。傷もないし破れもないことから、たぶん警察は毎年刷り直しているのだと思われます。東京ではめったにみかけませんが、富山やこんな山里に貼るということは、日本海を密航してきたり、山里に潜伏し たりする可能性があるということです。
「ええっ、わたしそんなことしらなんだけれど、そうかい、そんなに古い事件なんかい 」
その容姿よりも、話しはじめると意外に若々しい印象のおばちゃんがモップを持ったままで近づいて来てそう言いました。
「おばちゃん、それにしても、こんな人がお風呂に入っていることにきづいちゃったら 、大変だよね」
隣りに貼ってある「オウム」のポスターには、「あっと閃いたら110番」という標語も書かれています。「実際閃いちゃったらどうするんだろう」と思って、僕はそう言ったのです。
ところが彼女の反応は意外でした。
「おにいさん、ひょっとして、このポスターの中に写真がある人じゃないだ?」
ガーン。彼女は僕の予想を越えて、火曜サスペンスの世界に入り込んでいたのです。
「たいてい犯人は様子を探りにくるっていうしね。普通を装って、そんなふうに声をかけるもんせ、へぇ」
こういう村人に出会ってしまったら、約30年間俗世間から隔離されている田宮高麿さんもかたなしだろうと思わずにいられません。思わぬ展開に驚く僕に、彼女はさらに畳み掛けます。
「それじゃおにいさん、免許証見せてよ。何してる人?」
あらぬ疑惑を振り払うために、僕は即座にサイフから免許証をだし、名刺も出して彼女に渡しました。
「ふぅん、のんふぃぃくしょんらいたーかい。へぇ、推理小説書いてるだ?」
再びぎゃふん。これ以上言葉を継いでも無駄骨だということは見え見えです。それでも人懐こい笑顔が嬉しくてあれこれ話していると、彼女は事務所に戻ってチケットのもぎりをやっている同僚に嬉しそうに言っています。
「あの人作家だってよ。わたし、そういう人と出会ったの初めて」
すかさず男の声で何の屈託もなく、「そんな名前しらなんだね。売れない作家だろ」
その声に僕が笑うと「あれ、聞こえちゃったかね」と二人の笑顔が重なります。
山あいの露店風呂の昼下がり、僕は彼女と住所を交換して再び山道を下りました。
松本から路線バス入山辺線にのって、終点の大和合下車。そこから一本道をひたすら歩くと目指す扉温泉はあります。旅館も数件ありそうですから、チャンスがある方は一度訪ねてみてください。
もしその場に僕の写真があったとしても、どうかお気になさらずに。


 

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