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vol.18
2001.08.07





人生に場外なし

酷暑の最中、リオデジャネイロからこんな書き出しのメールがきました。
「今日のリオは雨です。実は7月6日成田着、9日発で日本におりました。柔道の恩師である柴山先生の葬儀に出席するためです。−−−というよりも、自分を納得させるためだったのかもしれません」
差出人は某大手製鉄会社南米支社長を務めるA氏。開成高校、一橋大学、そしてつい先年まで同社の柔道部長を務めていた氏には、今年2月のエリオ・グレイシーの取材でお世話になりました。リオから車で約二時間の山荘へ通訳として同行していただいたのですが、途中、88歳の老柔術家と分厚い胸板も健在な壮年柔道家は、隣接する道場で柔道着に着替え寝技大会になったのでした。
「カンピオーネ、カンピオーネ」、くんずほぐれつ約半時間、激しい攻防の末、エリオは氏への拍手と共に相好を崩しました。その笑顔には、同じ柔を愛する者として氏への尊敬の念が浮かび、それが結果として僕のインタビューに好結果をもたらしてくれたのは言うまでもありません。
その氏からのメールの中に、このフレーズがあったのです。
「僕らが大学3年生のある日、同期の加藤が先生から稽古をいただいていました。その日加藤は苦し紛れに隣の剣道場に逃げました。向こうは稽古の真っ最中です。その中をかき分けるように大柄な加藤が逃げようとしましたが、とうとう先生に捕まってしまいました。剣道部の連中が唖然としている中、横四方で抑えている先生が、加藤に向かってこう言っていました。「お〜い加藤、人生に場外はないぞ」、と」
真夏の汗くさい道場。柔道場から必死の形相で逃げ出す若者。平然と追う師。おそらく柴山先生は、学生を簡単に抑え込むと涼しい顔で「人生に場外なし」と呟いたに違いありません。思い浮かべればかなり滑稽なシーンではありますが、このフレーズが脳裏から離れ難くなったのは、その数日前、こんな呟きを聞いていたからだと思います。
「勝負しておけばよかった。あの時キチンとサシで向かい合って勝負しておけばよかったと、今になって思っているんだ−−−」
真夏にはいささか暑苦しいフレーズではありますが、語ったのが阿久悠であり、対象が美空ひばりだと聞けば、誰もが「エッ」と振り返る言葉だと思います。同じ昭和12年生まれの昭和の語り部と昭和の歌姫が、実はニアミスを繰り返しながら一曲も出会っていなかった。ひばりが没して10年以上たってから、阿久は「今は亡き美空ひばりが今は過ぎた昭和を歌うと」というテーマで一遍の詩を編みます。その誕生の顛末を問う初対面のインタビュアーに対して、阿久は照れることなくそう語ったのです。とはいえそれは、すでに舞台を降りてしまった者の呟きではありません。同じインタビューの中で、阿久はこう語って薄く残酷な笑みを浮かべることも忘れませんでした。
「詩を創るというのは、一人の歌い手の人生を変えてやろう、時代の空気を変えてやろうという試みでもあった。虚構を超えたところにリアリティーをもたせた沢田研二やピンクレディーは、ある時それに疲れて等身大に戻りたいなんて言い出した。虚構の中に説得力を持てる存在なんて、そうザラにはいないんだけれど」
その笑みには、他人の人生をかどわかし続けた者の殺気すら浮かんでいました。ところがその作詞家が、ついに一人の歌い手とだけは対峙できなかった。それが美空ひばりであり、昭和という時代のシンボルであったと、今年64歳になる阿久悠は照れもせずに悔いているのです。
救いなのは、その呟きが少しも湿っていないことでした。「検査入院から出たばかり」という身体が少し小さくなった印象なのに比べて、「勝負したかった」と語る瞳の方がむしろ瑞々しい光を宿しています。
「今でも詩はあふれるように沸いてくるんだ。97年にも月に100編書き下ろしたんだから。誰に歌わせようか、迷ったほどだ」
いささか強がりとも思える言葉を残して、阿久悠は席を立ちました。その後ろ姿に、日常の中で「勝負」を生き続けてきた者の風格が漂います。異形とも形容できるその顔に刻まれた皺もまた、そう思えば深い味わいが出て来ようというものです。
阿久も語っていましたが、いつからか歌の世界では「作品論」よりも「経済論」がはびこるようになりました。ビジネスの現場でも、個の闘い様よりも戦術論や戦略論が盛んです。「江夏対王」は古過ぎるにしても「野茂対清原」以降、「勝負」の臨場感は球場からも消えつつあります。何より阿久のような異形の大人が街角から消えて久しく感じられるではありませんか。「人生に場外なし」、「勝負」。その言葉や緊張感が滅びつつあるからでしょうか。
そういえば、ありし日の柴山先生は、あまりに日本人離れした顔だちから、その名刺に「日本人」と肩書を入れていたのだそうです。少しでき過ぎたエピソードではありますが、共に異形の相からの真夏の二つのメッセージ。射抜かれて背筋がゾクッとした分、むしろ心地よく感じらたのは僕だけでしょうか。
とまれ、まだまだ酷暑が続きます。ご自愛下さい。

 

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