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vol.17
2001.06.08





生きとし生かされる者

お元気ですか。最近、縁あってこんな文章を書きました。少し長いですが、、、。タイトルは「カリスマ」。こんな存在に思い当たる節はありませんか?(お時間ある時にご高覧下さいまし)
                     ※
 大阪の南の外れに広がる下町に、一本のダラダラ坂がある。雨が降れば欠けたコンクリートに水が溜まり、晴れれば野良猫が闊歩する、何の変哲もない坂道だ。けれどかつてここは大阪の落語家たちに「溜め息坂口笛坂」と呼ばれた一種の聖域だと聞いた。すでにテレビや高座で活躍する噺家たちが、今でもここに来る時は居ずまいを正し、車の運転も弟子に変わってハンドルを握ってくる。 そこに興味を持ったのは、笑福亭鶴瓶のこんな言葉を聞いたからだった。
「そもそも人間は、一度師匠と仰いだら一生それを変えたらアカンのです。僕にとっては六代目笑福亭松鶴が師匠ですやん。その師匠が松竹芸能に所属していたんだから、僕も松竹が潰れるまでいとかなあかんのです」
 その坂は、六代目松鶴が住んだ長屋に続く道だった。若き日の鶴瓶にとってもまた、行きは厳しい稽古を思って溜め息を付き、帰りは解放されて口笛を吹いた坂道だ。師匠亡き後、鶴瓶はその土地建物を買い取り、改築し、寄席空間を創って毎月一度六〇名の客を集めてライブを開いている。ゲストは当日まで伏せられるが、さんま、タモリ、イッセー尾形らの登場もあるらしい。
 僕はもちろん、現役時代の松鶴を知らない。けれどそこに行けば、何故鶴瓶がそこまで師を仰ぐのかが感じられるかもしれない。その坂を見てみたいと思ったのは、そんな気持ちからだった。
 カリスマ、師匠、王様、憧れ。
 言葉は違っても、人はそれぞれ誰かの旗を胸のセンターポールに掲げるものだ。僕にも思い当たることがある。
 大学を出る時、ある生活スタイルに憧れた。 ひと言で言えばそれは、映画「シェーン」のような生き方だった。もちろん僕はアラン・ラッドばりの男前ではないし、実社会は西部劇のようなのどかなものではないだろう。
 けれどある日フラリと「現場」を訪ね、その場で生活を共にして何かを紡ぎ出し、やがて時が来たらいづこともなく去っていく。そんな生活は悪くないと思った。もちろんそのプロセスには酒があり友がいて、ジーン・アーサーばりの飛び切りの美女の登場もあるはずだ。
 そんな風に生きて行けるなら、僕はどんな努力も惜しまない。多少の貧乏など、この際問題にもならないじゃないか。 それがフリーランスのノンフィクション・ライターという職業との出会いだった。
「その日、たまたま雨が降っていたから」。
 たったそれだけの理由で、決まっていた就職を初出社の日に辞め、ノンフィクションを書きだした作家がいた。二十歳の頃から何冊かその作品を読んでしまったのがいけなかったか。半ばその存在に憧れて、僕はノンフィクションへの道を歩きだした。つい昨日のことのようだけれど、もう一五年以上前の話しになる。苦笑するしかない。
「取っておいてあげるから、もう一度家に帰ってよく考えておいで」
 ある日原宿Growsの店頭で、店長の岩住教人はそう言って一人の少年を諭したことがある。少年が指したのはアンティックジーンズ・リーバイス501ZWX。Growsではかなり高価な二十万円の値札がついている。聞くとはなしにその資金の出所を確かめると、大学への入学祝いが十八万円。アルバイトで貯めたのが二万円。なけなしの二十万円だ。
 確かにその商品は、色合いもサイズも少年の希望にぴったりだった。買いたいのはわかる。けれど岩住の出した答えは「もう一度」。
 その理由を岩住は言う。
「僕自身、ビンテージものは一本も持っていないんです。慌てて買わなくても、いづれ出会うべくして出会うと思っています。だからお客さんにも、最初から高価なものは勧めたくないんです」
 岩住が仲間二人と原宿の外れのビルの地下に初めて店を出した時、目の前は文房具屋で空き店舗も多かった。それが五年後の今は、フロアには同じような古着屋やキャップ、ワッペンショップ等、若者アイテムの店が集まっている。地方からこの店を目指してやってくる少年も少なくない。
 いわば岩住たちは、古着界の若きカリスマだ。だから少年はその言葉に素直に従った。二度めの来店時に改めてそのジーンズを指定すると、三度めの来店時にはそれを履いて得意気だったという。もっとも岩住からすると、そのファッションはジーンズだけが突出していていただけなかった。そこはカリスマ。優しくアドバイスして、少年に相応しいシャツを勧めている。価格は千九百円。その程度でいいんですと岩住は笑顔を作る。
 その岩住にも憧れがいる。かつて二十代初め、古着に目覚めた頃からの師匠だ。
「今はFavosという店をやっています」
 訪ねてみると、その人、和久井英夫は、渋谷と原宿の狭間のビルの奥で小さな店を開いていた。Growsはハウス系のBGM。ここにはブルース系の曲が流れている。岩住は立ったまま接客していたけれど、和久井は終日カウンターに座って客と商品を眺めている。岩住と和久井は約一回り年齢が違う。今年四十歳になる和久井には、それがスタイルなのだ。
「僕らの古着は絶対に人と同じ格好が嫌だったから始めたんだけど、今の若者は同じような古着を欲しがるよね。それがわからないといえばわからないな」
 そう言って「元祖カリスマ」は口許を歪めた。二十代の頃DCブランドメーカーに職を得た和久井は、オフィスでも一人古着で通した。八十年代初めのこと。原宿にもまだ古着屋は数軒しかなく、雑誌も発行されていなかった。自分の足で歩いていい物を探す。しかるべき数の失敗を重ねて、商品の歴史や由来、そして程度の見分け方を学んでいく。それしか方法がなかった時代だ。
 絶対に高いものは買わない。買った物は手放さない。買ったら着る。
 和久井は自分でルールを作った。
「自分の中で一本の線が決まってるんです。商品を見ればその歴史がわかるし、値段もわかる。それが外れていたら、絶対に買わない。その線を崩したらいけないんです」
 和久井は言う。たぶんこの一本の線に、岩住たちは憧れたのだ。客を諭す頑固さも、あるいはその教えの一つなのかもしれない。
 もっとも今は、Growsの方が集客も売り上げも多い。GrowsのカウンターにはFavosのフライヤーが、置かれていた。
「いや、今の若い人にも店に来て欲しいと思ったからね」
 和久井はそう言って照れる。羨ましいようなカリスマの連鎖だ。
 大阪を訪ねた日。溜め息坂を登り切ると、そこには数寄屋造りの品のいい建物があった。「無学」と書いてある。引き戸をあけると一階は小さなホールと舞台。袖から二階に上がると、三畳間、六畳間、そして小さなダイニングと大きめの檜の風呂場がある。微かに生活の匂いがする。聞けば鶴瓶は、月に一度のライブとは別に、訳もなく夫婦でここに来て泊まっていくこともあるという。
「仮に西宮の自宅は手放すことはあっても、ここだけは手放したくない」
 そう言うことすらあるらしい。無学とは学生時代の鶴瓶の高座名だ。生活空間を残したのは、師との生活の細部を忘れたくないからか。
 ここに来るたびに、鶴瓶は自分自身の現在の存在位置を確認する。この空間は、今でも彼のカリスマの息づく場所なのだ。
 僕にも覚えがある。三十歳になる時に、ある冒険を試みた。例の憧れの作家にインタビューを申し込み、当時自分の事務所で出していたメディアに載せることにした。フリーになって三年め。そろそろ憧れの作家の姿もその尾尻くらい見えるかと思ったのだ。
 ところが−−−−。
 結果はさんざんだった。約二時間のインタビュー、彼が語るノンフィクション論は僕には遠いものだった。言葉は理解できるけれど、僕の書くもののレベルとは違いすぎる。その背中すら見えない。
 その日も雨が降っていた。一緒に飲むかいと作家は言った。
 いえ、今日は辞めておきますと僕は答えた。
 あれから一度も作家とは会っていない。一度だけ電話で「頑張ってるね」と言ってもらったことがある。今度会う時こそはと、僕は思い続けている。
 会うだけで、話すだけで、あるいは思いを馳せるだけで、今の自分の位置を確かめられる存在。カリスマ。
 一度その旗を掲げたら、決して手放さないことだ。
                    ※
僕にとって嬉しかったのは、この文章を書かせてくれたのが、初めて出会った10歳以上も年下の編集者だったことです。ある日彼は事務所に現れてこう言いました。「カリスマ特集のフロントページに書いて欲しいのです。何でもいいです。お任せします」。そしてこうも付け加えるのでした。「神山さんの本は、たいてい読んでいます」。
ふふ、凡そこの世で職人を扱うにはこの手に限ります。こう言われて張り切らない手作業の人はいません。やるな若者よ。この後僕はその雑誌のテーマである古着とやらの世界を知るために何度か原宿を一緒に歩き、そのディテールを案内してもらいました。
そうしながら感じたのです。この若者の掌の上で遊ばせてもらっていることを。僕に敬語を使いながら、彼が上手に僕を使いこなしていることを。
役者、山崎努さんが書いています。「突然役を与えられるところが俳優稼業の面白さだ。(略)決められた枠の中でシコシコと生きる工夫をすることが楽しいからだ。役という枠があるから面白い。役を自分で選んでしまったら、その面白さは味わえない」
山崎さんと僕とでは立場も存在感も異なりますが、この言葉には共感できます。ひと言で言えば、文章が書きおわるまで僕は彼に「生かされていた」のです。日頃がむしゃらな「自力」をテーマにしているだけに、それは僕にとっても新鮮な感覚でした。
 しかもそれが10歳も年下の若者なのですから。
 生きとし、そして生かされていく。
 新しいテーマが目の前に現れたような気がしています。
うっとおしい日々が始まります。ご自愛下さい。

 

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