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vol.15
2000.12.31





トラブルを歓迎しろ

いつもの習慣で車内で読み進めていたスポーツ新聞の一角に、思わず視線が張り付いてしまったのは暮れも押し詰まった29日のことだった。「萩原聖人舞台降板」。小さな顔写真と共に、正月6日から始まる予定の蜷川幸雄演出「真情あふるる軽薄さ2001」からの降板の顛末が短く記されている。
思わず頭の中が真っ白になってしまったのは、他でもない。その数日前まで、彼とは稽古場で何回も会い、インタビューを重ねていたからだ。正月14日から掲載が始まる毎日新聞日曜版連載「芝居あやとり」。その1月の三回分を、僕は萩原聖人という役者と「真情〜」という舞台との「綾」で書こうと思い、すでに二回分の原稿を編集部に送ってあった。だから記事を目にした瞬間、「連載の初回からケチがついたな」と思わないでもなかった。「何とかしないといけない」とは思いつつ、すでにゲラまで出ている原稿に今から手を入れられるのか否か、自分では判断できなかったからだ。けれど何度か記事を読み返し、すでに手元を離れている自分の原稿を思い出してどこをどう直せばいいのか思案しているうちに、対照的な二つの考えが頭に浮かんで来た。
一つは時間が許すならば入れてある原稿を没にして、他の役者の記事に全面的に書き換える案。もう一つは、たとえ降板になろうとも、それもまた萩原という役者と「真情」という舞台の出会いの綾なのだから、降板した萩原に食らいついて彼がこの修羅場をどう乗り切るかを見届けて三本目の記事を記すという案。
どちらにしても年末年始のスケジュールを全て空白にして新たな取材が必要ではあったけれど、二つ目の案を思いついた時、おそらく僕の口許にはうっすらと笑みが浮かんでいたはずだ。
「こりゃ面白くなってきたゼ」。
正直に記せば、そう思ってしまう自分がいたからだ。
「トラブルを歓迎しろ」。
仕事場の壁に、そう書いた古い紙が貼られている。もう何年前からそうしているのか忘れてしまったけれど、それは集英社の編集者、テリー田中さんの手帳に書かれていた開高健の「編集者マグナカルタ」から書き写した一節だ。
「読め、耳をたてろ、眼を開いたままで眠れ、右足で一歩一歩歩みつつ、左足で跳べ、」
そんなフレーズの後で、「トラブル」の一節が続いていく。
振り返ればこれまでにも、思いの丈の深い仕事であればあるほど、トラブルは当然のよう目の前に現れたものだ。小室哲哉との長い長いインタビューの後でやってきたのは、その従兄弟からの執拗な出版差し止めのクレームだった。まだ古い建物にあった講談社最上階の貴賓室で、従兄弟との話し合いは延々四、五時間に及んだものだ。明治時代の柔道家の生涯を綴った「ライオンの夢」では、小学館ノンフィクション賞の大賞にほぼ決定という報を受けながら、最後の最後にある審査員に明治時代の東京の区名の表記の間違いを指摘され、「優秀賞」になってしまった経緯が在る。
今年の年末に書いたロック座三人娘のレポートでは、取材の最後に一人の機嫌を損ねてしまい、ギリギリまで取材拒否をされて深夜の電話に齧りついたものだ。
けれどそれらのトラブルは、振り返ると手塩にかけた作品を世に送り出すための、最後の隠し味とも理解できる。そもそも物語を企画して取材プランを立て、資料集めから執筆に至る過程はトラブルの火中に身を捧げるようなものだ。大きなトラブルとの格闘があればこそ、摩擦熱は高くなり、送り出す作品に勢いがつく。
2001年に30歳になる萩原聖人にとって蜷川との舞台は大きなトラブルの種を孕んだ冒険だった。自分の死期を意識しながら舞台を創り続ける蜷川と、役者としての脱皮を必死で模索する萩原。両者がぶつかる摩擦熱への期待があったからこそ僕はそれを目撃したいと取材を重ねてきたのだ。その意味で、土壇場のトラブルはその選択が間違いなかったことを示唆してくれている。
だからこそ僕は、口許に浮かんだ笑みを隠しきれなかったのだ。
ちまたでは20世紀が21世紀がとかしましいけれど、そんなフレーズで自分自身が変わるものではない。
どんなトラブルに出会えるか。そしてどう乗り越えられるのか。その乗り越え様の中にこそ自分自身があり、新しい物語の萌芽がある。
開高の言葉はこう続いていく。
「遊べ、飲め、抱け、抱かれろ。森羅万象に多情多恨たれ」
年の瀬の一日、そのフレーズを口ずさみながら、僕は萩原の所属する事務所へと足を運ぶことになった。書き直さなければいけない原稿を抱えたが故に、高い緊張感の中で新しい年を迎えられる。その充実感を、トラブルに感謝しながら。
今年もお世話になりました。
皆様にはよいお年をお迎えください。

 

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