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vol.13
2000.05.06





文化を経済化する試み

僕の仕事は、日々新しく生成される文化を経済化することにこそ使命がある、、、、、。最近、そんなことを考えています。
ことのきっかけは10年ぶりに再会した桜井淑敏氏の言葉でした。
ご存知でしょうか。86年87年とホンダをF1の世界チャンピオンに導き、セナ、プロストの二強時代を創った総監督です。当時ちょうどフリーランスになりたてだった僕は、友人たちを集めて「東京塾」という異業種交流会を始めていました。たまたま雑誌のインタビューで縁ができたのを幸いに、無謀にも氏を講師に頼んで品川のホテルの会議室に来ていただいたことがあります。白い作業服のままに現れた氏は、いくつか出た質問に「30歳のころは竜馬になりたかった」と答えていたのが印象的でした。
その後すぐに氏はホンダを辞め、「F1文化をキーワードに新文化創造を」という旗を掲げてレーシングクラブ・インターナショナルという市民クラブ活動を始めます。が、当時の氏の主張には今一つピンとこなかったというのが正直なところでした。
ところが10年後。ある編集者の導きで再会してみると、氏の言葉には具体的なベクトルが宿っていました。
「世の中には社会資本、労働資本、経済資本、そして文化資本がある。日本は経済資本偏重の時を長く過ごしてしまったために、拝金資本主義、一元化グローバリズム、同質競争といった様々な弊害が社会を虫食んでいる。これからは、人も組織も自治体も国家も文化を中心に据え、それを戦略的に経済化する試みが課題になる」
その試みを具現化したものの事例として、氏があげたのはモナコでした。地中海沿岸の小国モナコ。ヨットハーバーに豪華クルーザーがびっしりと居並ぶ公道グランプリはあまりにも有名ですが、国連の準加盟国にもなっているこの国を語る氏の解説には確かに肯けるものがありました。
「モナコの人口はわずか3万人。けれどそこに100万人分の上下水動画整備されている。しかもひとたびレースとなれば、世界一中断が少ないレース運営がなされる。コース沿いに通常の何倍ものクレーンが用意され、事故があったら15秒以内に処理される。つまり主催者は、集まる観客が求めるものを熟知している。マシンの爆音と巻き起こす疾風。その二つが観客の味わう醍醐味だ。それを損なわないように、完璧なインフラが準備されている」
歴史を振り返ればモナコは、わずか半世紀前には列強に挟まれた軍隊を持たない弱小国に過ぎませんでした。変化が現れたのは国王レーニエ三世がかのグレース・ケリーと結婚した20世紀中期からのこと。モンテカルロ地区にカジノが認められ、アメリカ資本のホテルが建ちはじめます。その時慧眼だったのは、街の景観を条例で保護し、建物のデザインやカラーリングに統一感を求めたことです。同時に街中には監視カメラが設置され、徹底的に安全がアピールされます。世界の富豪たちは、モナコでだけは本物の宝石を身に纏うといわれます。その華やかさがさらに人をひきつけ、より一層華やかな「本物の」人々がこの地に集まって来る。もちろん紺碧の海や降り注ぐ太陽はこの国の財産ではありますが、無自覚にそれを享受しているだけだったら今の繁栄は有り得なかったでしょう。この豊かな戦略性をさらに決定的にしたのは、1937年から始まっていたF1グランプリでした。テレビ中継によって世界に向けてモナコ神話が発信され、毎年毎年それが強化されていきます。通常モナコの市民権を得るのは容易ではないのですが、F1ドライバーだけは無条件でモナコに住むことができます。それさえも、一つの戦略といわざるを得ません。
「京都や奈良にこの戦略性があるだろうか。日々、新しい文化を生成しようという意志があるだろうか。ただ過去の遺産を消費しているだけじゃないのか」
氏は言います。そしてこうも言うのです。
「人間を見る時も、経済的な視点から見るのと文化的な視点から見るのとで、見えて来るものがずいぶん違って来る」
この言葉に閃くものがありました。
僕の仕事は絶えず人に会い、話しを聞き、それを文章に紡いで物語を社会に提示することです。その時人が持っている情報を経済の視点から切り取ると「早い、唯一(独特)、刺激的、効率的、権威的」といったものが価値基準になります。世に言うスクープ、特ダネとはその価値が大きいことを言うのでしょう。けれど哀しいかなそれらの価値は、情報が世の中に広まると目減りしていく宿命があります。しかも僕らはその情報に興味を示さなくなるだけでなく、それらを発する人間すらも消費していきます。
野村サチヨ然り、林マスミ然り、震災然り、神戸少年A然り。
けれど人を文化の視点から見るとどういうことになるか。その時の価値基準は、如何に感動できるか、如何に感じられるかというものに変わってくるはずです。小さな情報を紡ぎ合わせて一つの物語にすること。世の中から一人の主人公を探し出して、その成長の様を物語として提示すること。仮に他と同じ言葉を発している人がいたとしても、その背景やその人の来歴を丹念に調べることによって、言葉の持つ本当の意味を探し出すこと。そういう行為ができるなら、それは世の中で僕だけしかできない仕事ということも言えそうです。
何故なら人を文化として認めるには、まず書き手である僕の文化が問われるからです。
神山典士とはどんな文化なのか。神山の意志はどんな文化を志向しているのか。そしてそれには価値があるのか。経済化するに足るものなのか。人に会って文章を書くとは、日々それが試されていると自覚しなければなりません。
その試みの一つとして、月刊現代に「ネットバブル狂想曲」(掲載題名は違いますが)を書きました。前回お送りした三国人問題の梁石日さんとのやりとりは、プレジデントの中島愛ちゃんがページを用意してくれて1ページにまとめました。はたしてそれらが文化足るか否か、どこかで立ち読みでもしていただけたら幸いです。桜井氏の提言は、もうすぐかんき出版から単行本として上梓される予定です。
その他お知らせですが、東京塾の2000年バージョンとして、カルチャー・バザールという名のサロン講演会を始めようと思います。詳細は後日メールにて。第一回のゲストには、やはり桜井氏を御呼びしないわけにはいかないでしょう。同時に先日の桜庭対ホイス・グレイシーの闘いに触発された意味も込めて、書き手になりたい10代〜20代の若者を対象にしたインキュベーション・バザールも設立します。こちらは月に二度ほど集まって互いのテーマを育てあい、半年から1年のスパンでその作品を完成させて一般誌に掲載することを目標とします。ご希望の方、あるいは推薦の方がいらしたら、是非メールを下さい。文化の振り幅をどこまで広げられるか。そんなことを本気で思っている、今日このごろです。

 

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