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vol.11
2000.03.09





己を無にして他者に接する

二人の男の物語を書きました。一人は560年の伝統を誇る狂言の若き宗家「和泉元彌」。もう一人は1億台を売り切ると豪語するプレステ2の生みの親「久多良木健」。共にその佇まいからは窺い知れないもう一つの顔が実に意外で魅力的な男でした。
「(先代宗家の)父が生きていた頃は海外公演に行くのにも一家で同じ飛行機に乗る事はありませんでした。芸の継承を考えてのことです。でも父が亡くなってからは、全員で同じ飛行機に乗っています。運が強い家族だからそうすれば落ちないだろうという気持ちもありますが、万が一誰か一人が今の狂言界に残ってしまったら大変なことになるなという思いもあるんです」
端正な表情を崩さずに、元彌はいいます。「上質を知る男」のCM等でブレイクしたこの若者の爽やかさには、いささか似合わない言葉です。この発言を読み解くには、今の狂言界の力学を知らなければなりません。和泉流には宗家に和泉家、筆頭職分家に三宅家、その弟子家に野村家があります。TVドラマ等でお馴染みの野村萬斎らの一家は和泉宗家の弟子家となります。ところがその影に、宗家継承の捩じれ現象が隠されています。元彌の祖父九世三宅藤九郎は野村家から三宅家にきた養子であり、父一九世宗家和泉元秀は三宅家から和泉家にきた養子なのです。一八世で後継が一度途切れた和泉家は、結局野村家をルーツとする者で引き継がれました。だから和泉家では元彌は「生まれながらの将軍、三代家光」と呼ばれ、野村家からは逆に相手にされないという状況があります。現状では狂言師の数と世代層の厚さでは野村が圧倒的ですから、和泉宗家は四面楚歌状態なのです。
ところがだからこそ、元彌は狂言に一心です。
−−−−何故あなたはそんなに狂言にひたむきなのですか?
元彌に接する誰もがそう言います。他の道に進みたくはないのか。恋愛はしないのか。趣味はないのか。年間250ステージをこなす彼の日常を知れば知るほど、僕らにはそう思えてきます。
実際彼が親に反抗したのは、たった一度だといいます。ある日父から「稽古ッ」と言われたとき、反射的に「エッ」と返してしまった。それだけが僕の唯一の反抗期でしたと笑うのです。365日24時間、常に稽古と舞台の日常が在り、札幌−京都−東京−京都を一日で移動するようなスケジュールも珍しくありません。
「でも皮肉なものね。野村の存在があったから宗家は狂言に真っ直ぐになれたのよ」
今回、原稿があがってから延べ15時間以上に及んだ和泉家との原稿擦りあわせの席で、母節子は言いました。すでに時間は深夜1時を廻っていました。朦朧とする意識の中でも、その言葉だけは耳から離れませんでした。極言すれば元彌は両親や狂言に真っ直ぐなのではなく、敵に対して視線をそらさなかったからこそ今があるのです。およそそんな家を巡る確執を知らない僕らには、想像もつかない心理です。
「私は死ぬまで緊張していなければいけない存在なのです」
元彌はそう言います。狂言に殉じようとする男の狂気には、むしろ清々しいものがありました。
「彼はエクストラ・オーディナリーなんだ。普通の規格を当てはめようとしたら、いいものが出て来ない」
初めてお会いするソニー会長、大賀典雄は、70歳にしては若々しい頬を緩めて嬉しそうにそう言いました。久多良木健という男の影にも、様々な風評が貼りついていました。曰く「ソニーの3悪人」「業界の嫌われ者」「我が侭」等々。上司も官僚も、まして同僚ですら話がわからなければ「あんたには言ってもわからない」と邪険に扱い、会社や業界のルールを無視した身勝手な振る舞いを続け、部下には無理難題を突きつける。大賀をして「中には蛇かつのごとく嫌っている者もいるはずだ」と言わしめる異端の人です。
ところがその久多良木の視点を知れば、その言動の理由も見えてきます。インタビューの冒頭、久多良木健はどこから来たのかという問いに、彼はこんな話をしてくれました。
「僕の父は下町の小さな印刷屋でした。だから僕は小学生の頃からお得意の多い築地の市場に行って注文を取ってきました。仲買のおばちゃんの背中から二階に上がり、そこで伝票や札類の在庫をチェックして「なくなりそうだから刷っておくよ」と声をかけるんです。つまりお得意の在庫管理をしていたんです。飛び込み営業もやって、他の印刷屋が出入りしている店でも粘って何か一つ足りないものをみつけると翌日に持って来る。そうすると、アカウントができて商売が始まるんです」
75年にソニーに入った時、久多良木が見たのは「朝から仕事もせずにブラブラしている社員」「業者から値切りもせずに言われる値段で物を買う社員」「会社に不満があるとすぐに赤旗を掲げる社員」「新技術の勉強もせずに昨日と同じ事を今日も続ける社員」たちだったといいます。頑張って売上げが増えればやりたいことができるようになるのに。給料もらって勉強できるんだからもっと研究すればいいのに。世界を探してもっと安くいいものを探してくればいいのに。若き日の久多良木はそう感じ、思うままに相手に言葉をぶつけていたのです。「そんなことしていたら、嫌われ者だったでしょう」そう振ると、彼は言下にこういいました。
「だってあいつら馬鹿なんだもん。僕も嫌っていたからいいんだ」
見事な個人主義の意志がそこにありました。
「久多良木にはソニー始まって以来初めて、株を分けたんです。最高経営者会議で私が決断しました」
インタビューの途中、一般にはソニーとソニーミュージックが50対50で株式を保有するといわれているSCEの株の事を訊ねると、悪びれもせずに大賀はそう言いました。96年、SCEの増資をするときに久多良木は第三者割り当てで株式を得ているのです。ほんの数株に違い在りませんが、時価総額を試算するとソニー本体よりも高価だといわれるSCEの株ですから、物凄い資産であることは間違い在りません。
「でもそんなことよりも、久多良木には井深賞の方が嬉しかったはずですよ。ソニーの技術者に与えられる最高の賞ですから」
大賀はそうも言います。それはまた、久多良木自らが認めている事実でもありました。97年、彼に井深賞が与えられた時、久多良木は少年のような笑顔を見せて、社員全員にウォーターマンのペンを配ったのだそうです。「僕ももらったよ」と、ここでも大賀は嬉しそうでした。
こうしてみるとどうも僕らは、他者を理解する時に自分のスケールでしか物差しを当てられないもののようです。10代では必ず親に反抗するものだ。企業のルールに乗れないものは変わり者だ。なるべく輪を乱さないで生きていきたい。そういうありていのスケールは、彼らの前に立つととたんに貧弱に見えてきます。思えば反抗とはいってもちょっと外の公園を一周するくらいのことだったり、ルールに準じるとはいっても結局赤提灯でうさをはらしていたりするのです。せめて他者に近づく時には、そんな自分のスケールからは自由になりたい。己を無にして他者に近づきたい。そのための術は検討もつかず、結局夜の酒の中に己を溺れさせるのがせいぜいなのですが、また一つ記憶に残る取材となりました。
前者は13日発売のアエラに、後者もまた同日発売のプレジデントに掲載されます。書店でみかけたら、立ち読みでもしていただけると嬉しく思います。この文章同様、若干長めなのが恐縮なのですが。

 

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