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vol.1
1998.11.12





よかったら、ご一緒に行きませんか。コンビニ袋を持って。

11月11日大宮ソニックシティ
コンサート冒頭、暗闇の中の通路を右手にコンビニ袋、左手に5歳位の男の子という姿の女性が自分の席を求めて登って行った。それにも全くめげずに悪びれた様子もなく、吉田拓郎は歌っている。
「長い長い坂を登って後ろを見てごらん、誰もいないだろう。長い長い坂を降りて後ろを見てごらん、皆が僕に手を振るさ」
たぶんこの夜のコンサートは、このワンフレーズを歌いたいためだけに仕組まれたのに違いない。記憶に間違いがなければ、彼の24歳の時のデビュー曲だ。そう歌って、ステージから客席を見下ろしてニヤッと笑いたかったのだ、52歳になる吉田拓郎は。はたして彼は気づいているのだろうか、今期の直木賞受賞作、車谷長吉の傑作「赤目四
十八瀧心中未遂」の冒頭に自分が登場していることを。
「数年前、地下鉄神楽坂駅の伝言板に白墨の字で「平川君は浅田君と一緒に吉田拓郎の愛の讃歌を歌ったので、部活は中止です。」
このフレーズを読み取った瞬間、ニヤッと笑ったのは僕だった。やられた。心地良い敗北感。この作品はこの一行だけで、僕の中では直木賞作品でも梁石日の「血と骨」を破った作品でもなく、吉田拓郎を純文学に昇華させた作品となった。一つの事件だった。コンサートは、ある曲を境にして、弾かれたように客席が総立ちとなった。皆十分に知
っている筈なのに。立ち上がるのはいいけれど、座る瞬間が恥ずかしいことを。あの間抜けな立ち居振舞いが嫌だから立つまいと思っていたはずなのに、皆身体が反応してしまっている。
歌う公務員、吉田拓郎。そんなフレーズが思い浮かんでくる。復活でも健在でもなく、当たり前のこととして現役で歌い続けている吉田拓郎。そういう姿を確認して、客席の誰もが嬉しかったに違いない。もう皆、それぞれの業界で十分に手垢に塗れ、新米に背中を押され、現役から一歩踏み出してしまいそうな位置にいるのに違いないのだから。
12月16日か17日、東京フォーラム公演が残っています。
よかったら、ご一緒に行きませんか。コンビニ袋を持って。子どもの手を引いて。生活の匂いをプンプンさせながら。そういう客こそを、吉田さんは極上の曲を用意して、待っていてくれています。

 

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