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「第一回アブダビコンバット・レポート」

「僕は子どもの頃からキックボクシングをやっていたんだ。我が国には、バットバットという名の伝統的な格闘技もある。でもある日、CNNでアルティメット・ファイトという凄い格闘技を観てからその虜になってしまったんだ。何て言ったかな、あのファイターは(ここで日本人報道陣から「キモ」の声)、そうそう、キモだ。彼の出た94年の大会を観てすぐにロスに飛んで、グレイシー道場の門を叩いたというわけさ」
 2月26日午後2時、日中は気温40度にも達するアラブ首長国連邦(UAE)の首都、アブダビのエキシビション・センター。緊張する報道陣の前に現れた同国皇太子シーク・タハヌーン殿下は、気さくに「僕もグレイシー柔術の茶帯を持っているんだ」といいながら、次々と格闘技への豊富な知識を披露していった。
「アラブの格闘技好きな皇太子が世界から選手を集めて大会を開くらしい−−」
 そんなおとぎ話のような噂を聞いたのは正月のことだった。格闘技フリークの間ではすでに知られていたというが、んな馬鹿なというのが最初の印象だった。 ところがどうも皇太子は本気らしい。日本からは総合格闘技を標榜する人気急上昇の団体、修斗から選手が出場するという。そんなふうに話が膨らんで、気がついたら砂漠の街に立っていた。
実際、夢のような大会だった。
会場には3つのレスリング用のマットと皇太子ご指名の約20カ国、約100名の精鋭たち。会場を包む異様な雰囲気は、さながら古代ローマのコロッセオだ。
「第二回アブダビ・コンバット・サブミッション・レスリング世界選手権」
アブダビ・コンバットとは皇太子が同国に創った格闘技の殿堂の名を示し、サブミッションとは関節技=寝業中心のルールを指している。打撃中心のK1の寝業版ともいえるが、日本人なら、一世紀前、日本の若者が世界に広めた柔術の流れを汲む大会と理解したい。ルールは無差別を含む体重別6階級。パンチとキックはなし、関節を極めてギブアップを取るか、寝業の中で相手をテイクオーバーしてポイントを奪うか。言うまでもないがリングアウトや反則は一切なし。マットから身体が出た場合は、相撲の要領で待ったがかかりそのままの姿勢で中央まで引き戻される。元々柔術は護身術としての要素と、戦場でどんな大きな相手にも致命傷を与えることのできる「必殺」の要素に満ちている。リアル・スポーツとしてのサブミッション大会を開きたいというのが皇太子のたっての願いだったというが、期せずして戦国時代「死合い」と表現された野武士たちの闘いが再現されたという緊張感漲る大会になった。
 このルールの下集まった顔触れは、ブラジル、アメリカ、ロシア等を中心とする柔術、レスリング、サンボ、柔道等のチャンピオンたち。日本からは修斗の桜井速人、エンセン井上等(佐藤ルミナは当日発熱で欠場)。和術を掲げる彗舟会からは宇野薫、小路晃等。体格は小柄だが、これまで日本の格闘技界の中心だった馬場、猪木、前田世代とは異なり、プロレス色を全く持たない「総合格闘家」然とした若々しくも凛々しいメンバーだ。
 事実、2日間に渡る大会で最高の歓声を浴びたのは、無差別級準決勝、リコ対桜井の一戦だった。体重差約50キロ。文字通り柔と剛の対戦。明らかに桜井の不利が予想されたが、開始5分過ぎ、リコの足に桜井の左腕が絡んでヒール・ホールドが決まり、リコがタップ(ギブアップ)して試合は決まったかに見えた。総立ちになる観衆。現地人の間から自然発生的に湧き上がってきた「サクライ・コール」。それは異国の地で立ち会った感動的な光景だった。ところがここでリコ・サイドから「あれはタップではない」とクレームが入る。観衆は一斉にブーイングを浴びせたが、審判団は前年度無差別級優勝のリコを意識してか、なかなか判断が下せない。その時颯爽と試合会場に下りてきたのが皇太子だった。
「待て、私がジャッヂする」
 素早くビデオを取り寄せて最後のシーンを確認。「桜井の勝ちだ」と指示すると再びロイヤル・ボックスに戻っていった。


 

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