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「マダムSのスペシャルメニュー」

 午前8時。コンクリートに残る前夜の若者たちの賑わいが、昇る朝日でやっと洗い流された東京・原宿。住宅街の一角から胡麻の香りが立ち上ってくる。精進懐石料理「月心居」。作務衣姿の棚橋俊夫(38歳)が厨房に立ってバチを握る。やがて胡麻の皮が擂り鉢の中で儚げな風情を醸す頃、京都・錦小路の青果市場から約40種類の京野菜が届く。菜切り包丁一本を右手に、夕方5時の開店を目指しての「仕事」が始まる。
 午前8時半。神楽坂の住宅街にある「ラ・トゥーエル」の厨房で、白衣に着替えたシェフ清水忠明(42歳)が、築地の仲買人と電話でやり取りを始める。胸には誇らしげに「Proprietaire」の刺繍。オーナーシェフであることを示している。
「白子のいいのある? 真鯛がいいの? 肝まで使えるって? じゃそれももらおうか」
昼24席夜24席。計約50人分の食材が、瞬時に計算される一瞬だ。
 午前10時。都心のホテルでも有数の広さと設備を持つ高輪プリンスホテル「トリアノン」の厨房に、総料理長川村政治(46歳)が高く聳えるシェフ帽を被って姿を現す。ホテルの厨房はルームサービスのために24時間眠らない。トリアノンのオーブンは、操業以来約35年間休むことなく燃え続けている。「おはようございます」各パートに散る15名の料理人から緊張した声がかかる。一人一人に視線を配り、川村は奥まった自分の机に向かう。そこにはボーイ長の手によって、その日の予約客のリストが貼り出されている。「マダムS」、馴染みの名前を見つけると、川村にも一瞬緊張が走る。今日はSさんがお見えるなるのか。さて、何をお出ししようか。川村は机の上に置かれた約1000人の顧客ファイルの中から、「マダムS様」と書かれた紙の束を取り出す。そこには彼女が約20年間で、このレストランで食した全ての料理が記されている。今まで召し上がっていただいていないものを、旬の食材で、お連れするお客様にも合うように、ご予算を伺って−−−。
川村は、「メニューは創作者の表現」だと言う。川村のアイディアがワープロで打出される時、マダムSのためのスペシャリテが誕生する。それはこの夜を飾るだけでなく、やがてレストランに語り継がれる永遠のものとなっていく。
 神楽坂では食材の仕込みが終わる頃、清水が手書きのメモをメーテル・ド・オテル(支配人)を務める実弟に手渡す。ワープロに打ち込むのはメートル・ド・オテルの役割だ。かつてフランスの三つ星、グラン・ブフェールのレーモン・オリヴェが始めたといわれる、女性用に値段の書いていないメニューも用意される。清水は、「メニューは創作者の主張」だと語る。28歳でフランスの三つ星トゥール・ダルジャンから帰国し、日本の一流ホテルの副料理長に就いた斯界の若手旗手の料理を、客は楽しみにやってくる。時代に寄り添い、舌と心で客を二度驚かせ、満足感を与える料理を提供するために、清水はメニューの紙質にも気を配る。
 棚橋の店にメニューはない。表に水が打たれた玄関の木戸を開けると仄かに香が馨り、つくばいに柄杓、床の間には大ぶりの花瓶が飾られた和空間で、客は棚橋の世界に酔いしれる。棚橋は、ハレとケという言葉を使う。
「懐石料理は、ケの料理です。つまり日常に溶け込んだ、家庭でお母さんが作ってくれる料理と同じだと思っています。お母さんはメニューは創らないでしょう。わたしは3年間修行した滋賀県の尼寺の師から「作為をなくせ」と教わりました。包丁に溺れず、野から出たエネルギーを殺さない料理を目指せという意味だと思っています。メニューを書くということは、作為の成せる技でしょう。野菜本来の力で、料理は途中から変わって行くものだと思っています」
 そう言った後、棚橋は厨房の奥から二冊の大学ノートを持ってきてくれた。黄ばんだ紙に睦月、如月、卯月、弥生と文字が並び、それぞれ向付、汁、めし、お碗、和合もの、炊き合わせと11種類の懐石メニューが並んでいる。表にこそ出さないが、棚橋の料理の理と礎はここにある。この上に、その日手にする野菜との一期一会があいまって、棚橋の美学が碗の中に生きる。毎月25日になると、翌月の料理を考える。「厨房の中に四季がある」。棚橋が気力を振り絞る一瞬だ。
         
 「さぁさぁ今日は何を召し上がりましょうか。お好きなワインをオーダーしてくださいね」
マダムSがにこやかな表情で、この日のテーブルを共にする若い友人たちに声をかける。
「本日のオードブルは帆立貝のパルマンティエ仕立てでございます」
 メニューを差し出すソムリエが言う。
「と、いうことはじゃがいもですね」
 マダムSの正面に座った若者が唐突に言う。 その言葉を受けて、ソムリエが、
「左様でございます。何でもパルマンティエという人はフランスにじゃがいもを広めた方でして−−−」
ワインを注ぎながらソムリエがテーブルを時計廻りに歩き出す。その言葉を遮って、若者がさらに続ける。
「パルマンティエという人は確か16世紀の人で、科学者にして心理学者だったそうなんです。聖書に出てこない食べ物だからといってじゃがいもを口にしなかったフランス人に、何とか栄養価の高いものだから食べさせようと考えたんです。彼はまず王様とお后にじゃがいもの花を贈って国中にその名を広め、さらにベルサイユ宮殿の畑にそれを植えて警備の兵士を立たせたそうです。ただし兵士には「誰かが盗みに来たらわざと見逃してやれ」と耳打ちしたそうなんですけど」
「何でそんなことをしたのかしら」
 マダムSが好奇心溢れる瞳を輝かせて訊ねる。テーブルに集ったメンバーも、不思議そうに首をかしげている。若者はさらに得意げに言葉を続ける。
「王様が愛でた食物だということで、国民の関心を呼んでおいて、それをわざと盗ませて国中に広めようという考えですよ。やっとの思いで盗んだものなら、食べてみようという気になるのが人情でしょう。心理学者パルマンティエの予想が当って、じゃがいもはあっという間にフランスフ中に広まったんです」
「なるほどねぇ。昔の方は賢いですねぇ。やっぱり大切なものは奪ってくるくらいじゃないと駄目なんですねぇ」
マダムSの初々しい言い方にテーブルは暖かい笑い声に包まれる。大きなガラス窓からは、軟らかい冬の陽射しが降り注ぐ。この日の午餐は、メニューを中心に、くつろいだ雰囲気の中で始まって行く−−−。
         
 かつて10年間に1000軒のヨーロッパのレストランを食べ歩き、ミシェランが選ぶ至高の三つ星二つ星のシェフたちと交流を重ねた日本の誇るグルマンティーズ(美食家)、故・辻静雄は書いている。
「西洋のメニューには、日本の献立ほどこまかく材料まで書き付けないかわりに、その料理をつくったコック長や料亭の主人の、あるいはひいきの客の名前をつけたり、土地の名前をつけたりすることがあるほか、数百年もの昔から伝えられている料理には、それなりの歴史や、エピソードを盛り込んだものがたくさんあって、その料理の名前をひとつづつ覚えて行くよりほか、最短距離で早分かりなどという道はないというより仕方ない。中華料理のように素人でも字づらだけから、どんな料理がでてくるか、わかるようなのはあっても非常に少ないのじゃないだろか(略)」(フランス料理の手帳、新潮文庫)
 世界の三大料理といえば−−−、どこでも語られる小話だが、フランスと中国、そして残る一つは自分の国の料理と相場は決まっている、らしい。日本人として生まれたならば、もう一つは日本料理と胸を張りたいところだ。素材の生かしかた、調理の多彩さ、盛り付けの美しさ、食空間の豊かさ、どれを取っても世界に誇れるものといっていい。三カ国の料理の違いは、メニューにも現れている。和式のメニューには、本来「選ぶ」要素はない。中華のメニューは食材と料理法がわかりやすく並んでいる。対してフランス料理のメニューには、数え切れないほどの暗黙のルールがある。パルマンティエもその一つだが、知っているのといないのとではレストランでの楽しみ方が違ってくる。
 例えばフランス最高のレストランの名を欲しい侭にしたマキシムには、「ビリ・ビ」という名のムール貝のクリーム状のポタージュ・スープがある。常連客だったビリさんのためにシェフが創案したものだという。いつのまにかこのスープの味とレシピがフランス中に広まり、ビリさんを知らないシェフも競って創るようになった。今では世界中のフランス料理のレストランで、ビリ・ビといえばムール貝。定番になっている。
 トリアノンのメニューにも「暗黙のルール」が隠れている。川村のファイルにも、いくつかそれが記されている。
「例えばここに舌平目のシャンパン・ソースとありますね。これはグラタンを意味しています。フランス語でオ・シャンパンと書いたら、グラタンと書かないでいいんです」
 82年にミッテラン大統領が来日した時のトリアノンでの晩餐のメニューも、そのファイルに残っていた。
「ここにスープ・デ・トリアノンとあるでしょう。これは以前ポール・ボキューズさんが来日してこの厨房で料理した時に残した、スープ・デ・エリゼという逸品なんです。ミッテラン大統領が就任した時に、エリゼ宮でのパーティーにボキューズさんが創った料理です。トリアノンと名前を変えましたが、以来ここではそのスープにしかこの名前を使っていません。私が21か22の頃のことかな。入社して3、4年目ということになりますね」
 今から約四半世紀前の若き日。川村は、名だたる先輩シェフの仕事ぶりをつぶさに観察しながら、仕事が終わると一心にそれをメモするのが常だった。まだストーブ前にはつかせてもらえない。ソース創りなんてとんでもない。何者でもない新入社員の頃から、レストランに何度もお見えになる顧客の名前を覚え、シェフが創った料理を記録し、そのスペルからメニュー構成までしっかりとノートにしたためた。その記録の蓄積が今日、マダムSの来店の時に生きている。
「要するに、調理人から料理人にいつ脱皮するかということなんです。調理人はじゃがいもを剥けといわれれば、手早くいつまでも剥くことができます。料理人はそこから一歩進んで、お客様の気持ちと自分の料理を提供しようという気持ちをアンサンブルしようとする。その2つの接点でスペシャリテのメニューができるわけです。季節の素材、来店の目的、そしてご予算、これがあって初めてメニューができあがります」
 ラ・トゥーエルの清水にとって、メニューの原体験は10代の後半に弟子入りした東京の最高級フレンチレストランの厨房の光景に重なってくる。日本の庶民が初めて洋食ではなくフランス料理を口にしたといわれる万国博覧会が終わり、経済の高度成長期とあいまって東京にも本格的なフレンチが誕生しはじめた頃。初めて白衣を着た清水は、朝7時から夜の10時まで、フランスで17の星のレストランを渡り歩いて帰国したばかりのシェフの下で働いた。
「怒るとフランス語になる人でした。年間に仲間が3人は辞めて行きました。でもかっこいいんです。羽根ペンでスラスラと飾り文字のフランス語でメニューを書いていました。フランス仕込みのレシピも10センチほどの厚さのノートを10冊くらいもっている人でした。でも、絶対に見せてくれないんです。仕方ないからメニューを覚えて、調理場でレシピを頭に叩き込み、昼休みに将棋の相手をしながら料理のコツやフランスでの料理人の様子などを聞きました。もちろん、将棋はわざと負けるんです。そこでも怒られたら、話してくれなくなりますから」
清水が単身フランスに渡るのは、それから6年後のこととなる。
「精進料理の修行をした月心寺では、師は右手と右足が不自由な人でした。それでも毎朝午前2時には起きて、左胸を支点にして胡麻を擦るんです」
 古いお寺から譲ってもらったという二月堂(小机)の上に料理を並べて、棚橋が言う。「師は年に4回しかメニューを変えません。春夏秋冬、季節ごとの旬の野菜をふんだんに使って料理を創るんです。擂り鉢の中に精進料理を見出した人です。昔の日本では、蕎麦とか寿司とか天ぷらはいづれも屋台料理でしたよね。今のマクドナルドみたいな存在、つまりケの料理だったはずです。でもそれが今ではハレの料理になってしまっている。ハレばかりになってしまったから、ケが疎かになって、ハレ自体も輝かなくなっていると思いませんか」
 棚橋は、師からの教えを頑なに守っている。料理に執着なし。秘伝なし。守っちゃいけない。能力がない者ほど隠そうとする。
「例えば小豆を炊いている時に、豆がいろいろな表情を見せてくれるんです。砂糖を入れるとツヤが出ていい表情になるし、アクが出てもそれもまた人生ですよ」
 その左右の掌を広げてもらって驚いた。包丁を握る右手に比べて左手は黒ずんで肌も荒れている。「アクに負けたんです」と微笑みながら言う。それもまた人生ですよと、二つの瞳が輝いている。
       
「フランス料理の手帳」の中で、辻はメニューの読み方、つまりオーダーの仕方の要諦を書いている。
1・同じ材料や同じ系統のソースをつかった料理が重複しないようにすること
2・アントレ(メインとなる料理)を先に決めること
3・お店で好きな料理をみつけたら、あまり冒険してあれこれワケのわからない料理を注文しなくていい
4・ワインは値段が高いからといって上等とは思わないこと
5・慣れた店なら今日はどんなものを食べたい気分なのか、すぐボーイさんに言っておくこと。あとはどんな料理になって出てくるか、まったくまかせてしまうのもいい(中略)
9・食べ歩きガイドの著者たちのいうことは、皆眉つばかもしれないと心しておくこと
 マダムSは、気の置けない友人をテーブルに招待する時、決まってこう言う。
「今日は川村さんが(清水さんが、棚橋さんが)どんなお料理を出して下さるか、おまかせにいたしましょう。その方が美味しいものが召し上がれますから」
 かつて開店当初、月に17回も現れたマダムSのことを、清水は親しく口をきくようになるまで「試されているのか」と震える気持ちだったという。
 棚橋はマダムSの来店の後は、自ら誘ってバーの止まり木に腰を落ち着け、しばし会話を楽しむことがある。一日の疲れが残っていないはずはないが、料理の心を知る人に出会った料理人の喜びに浸れる一瞬だという。
 川村にとってもまた、マダムSは特別な客の一人だ。たまの休暇を見計らって、マダムSは川村と新しいレストランの食事に出ることがある。料理人は食べていないといけませんから、と言いながら、マダムSはあちこちのレストランに連れて行く。次にトリアノンを訪ねる時、出てくるであろう新しい川村の料理が楽しみなのだ。
一生の中で美味しい料理を食べ続けるために必要なもの。それは豊かな財と強靭な胃袋といわれている。けれど本当に美味しい料理を欲するなら、欠かせないのは料理人との交友だ。マダムSは若い料理人を見出し、足繁くレストランに通い、一緒に食べ歩いて刺激を与え、そしてその才能を引き出そうとする。
 やがてその舌に適う料理人となった暁に、マダムSは大勢の友人を誘ってテーブルを囲む。メニューは決まって「おまかせで」。
 ではマダムSにメニューは必要ないのかというと、そんなことはない。それが活躍するのはむしろ食事の後ということもある。
        
 パルマンティエに始まったコースは蕪のコンソメ、真鯛のロティ、和牛フィレ肉のマスタード風味と進み、やがてオードブルとカプチーノが運ばれてきた。長い午餐が終わりに近づいた頃、マダムSがテーブルの片隅に残っていたメニューに手を伸ばし、何かを挟んでソムリエにそっと目配せする。
「今日のお料理も本当においしゅうございました。厨房の川村シェフによろしくお伝えくださいませね」
 そう言って、静かにメニューをソムリエに手渡した。やはり辻が書いている。
「トゥールーズ・ロートレック伯爵夫人が20フランのチップをいつ手渡したのか、まったくわからなかったのには閉口した。いつも伯爵夫人のどんな些細な仕種でも注意深くみて、わがフリなおしているからだ」(「フランス料理の手帳」)
 マダムSから手渡されたメニューを、ソムリエは恭しく胸に抱えて厨房に消えていった。やがて川村シェフがやってきて、帰りの挨拶となる。「マダム、いつも済みません」そういって川村が笑顔を見せる。
「また次も美味しい料理をお願いしますね」
 マダムが言ってコートを羽織る。
 フランスでは人が創る雰囲気をアンビアンスといい、レストランの内装や食器、グラス等が醸し出す雰囲気をキャードルという。
 一流のシェフには一流の客が付き、その絶妙な食事の作法が交わされる時美しいアンビアンスが生まれてくる。メニューは時にその仲立ちをすることもある。一度の食事が一生の記憶に残る時、大切な記念日に大切な人とテーブルを共にする時、愉快な仲間が一つのテーブルに集う時、いつでもメニューはその大切なアクセントになる。
長い午餐が終わり冬の陽射しが西に大きく傾きかけた頃、マダムSと友人たちが家路につく。その背中に見送るシェフの気持ちが重なり、淡い月が優しく微笑んでいる。


 

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