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「鶴橋康夫、絶対監督」

 テレビ界の「芸術祭男」と呼ばれるドラマ監督、鶴橋康夫に会いに行くみちすがら、JR車内で視線が釘付けになった。中吊り広告に、一編の詩が掲載されている。
「樹下の二人」(高村光太郎、「智恵子抄」より)
「ふたり一所に歩いた十年の季節の展望は
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり」
 純愛を貫こうとする詩人が、相手の女の内面の底知れない深さと密度に半ばおののいている。瞬時に思い出されたのは、鶴橋が三五年間の監督生活の中で描いてきた人間像だった。旧家の長女とその母が陥るアルコール依存症、無意識のうちに男を虜にしてしまうキャリア女性の魔性、少女時代の赤貧の記憶を架空の記事にしてしまう女性記者、レズビアンの果てに人肉を食らう淑女。浅丘ルリ子、大竹しのぶ、原田美枝子等を主人公に、鶴橋は人間存在の「無限」の闇に一条の光を当てる。本人も気付かない現代人の内なる狂気を撮る監督として、その存在はテレビ界で異彩を放っている。
生きる時代と手法は異なるが、二人の作家が同じ闇を凝視している。詩人、高村光太郎と映像作家、鶴橋康夫。深く暗い人間の内側、その無限の鉱脈に気付くことは、作家としての第一の資質だ。
 放送評論家佐怒賀三夫は鶴橋の作品をこう書く。
「事象を単一な目で見ない/映像表現の多様さと可能性を最初から知っていた演出家/人間心理まで踏み込んで抽出している/心理的な遠近法でとらえている」(九八年四月三〇日京都新聞)
 それは齢五九になった今日の鶴橋作品に対する言葉ではない。四半世紀前の七六年、三〇代半ばで撮られた「新車の中の女」という作品を語った言葉だ。

シーン1。七六年、「新車〜」のロケ現場。国鉄西上田駅。監督と浅丘ルリ子、向き合っている。
監督「浅丘さん。同じ演技を四回やっていただけますか。僕はロング、アップ、切り替えし、逆アングルとあなたの絵を四回撮ります」
浅丘、怪訝そうな表情。
監督「四回撮るのには理由があります。一度目の演技は視聴者のために。二度目は相手役のために。三度は目僕、監督のために。そして四度目は、映像の神様のために。(間)よろしいですか」
浅丘、ニッコリ頷く。

 テレビドラマ半世紀の中で、この作品は一つの句読点として記憶されている。この作品に於いてテレビカメラは初めて重いケーブルと巨大な中継車から自由になり、カメラマンの肩に担がれた。NECが試作したVR三〇〇〇というポータブル・ビデオシステムがそれを可能にした。ある日展示会でそれを目にした鶴橋は即座に試作品を取り寄せて、新作のカット割りに取り掛かった。原作は、「海が見たい」とパリからマルセイユまで車を走らせる女が主人公の心理劇。車と同じ視点で絵を撮らなければ成立しないロードムービーだった。
当時を振り返って鶴橋は言う。
「それ以前の手法だったら車をスタジオに入れて背景の絵を動かしていたと思います。あの頃、映画館では黒澤明やゴダールの新作が次々に封切られていたのに、テレビドラマはペラペラでした。悔しくて哀しくて、いっそ報道に異動しようか新聞社に入り直そうかと思ったくらいです。でも新しいカメラならどこにでも入れる。アングルにも凝れる。人間の心の内側も覗けるんじゃないかと思ったのです」
 昭和一五年生まれの鶴橋にとって、メディアへの最初の憧れは新聞だった。だが中央大学在学中、文章修行に通った読売新聞記者、伊藤一男は鶴橋に開設四年目のよみうりテレビへの入社を勧めた。
 ある日銀座で伊藤と会っていた時、近くで火事があった。伊藤は現場に鶴橋を連れて行き記事を書かせた。そこには「漆黒の闇の中に美しく広がる炎の輝き」といった、美しい情景を綴った言葉ばかりが描かれていた。元々影像の資質の人だったのだ。
 ドラマという虚構の世界で水を得たのにも理由がある。新潟県岩船郡坂町で過ごした少年の日から、鶴橋は演出が得意だった。

シーン2。(セピア色)回想。終戦後、五〇年代初頭、雪深い新潟の寒村。六畳間。小さな囲炉裏。近所の奥さんや父親の後輩たちが談笑している。
少年一(兄)「それでは皆さんお待ちかね、新潟の生んだ天才歌手、鶴橋健司君の登場です」
少年二(弟)、拍手の中を三橋美智也の「哀愁列車」を歌いながら階段を降りてくる。
弟の独白「子どもの頃あんちゃんに演出されまして、階段を歌いながら降りてこいと言われました。歌には自信がありました。でもあんちゃんは司会しかしないのに、投げ銭があると全部持っていってしまいました。僕に廻ってきた記憶はないなぁ」

 兄弟の家は、ある種の火宅だった。経済ではない。人間関係だ。旧家の長男にありながら、父進一は幼少時から親戚の家に出され、祖父興平衛との仲は遂に修復しなかった。進学したくても援助が得られず、もがいた末に結局田舎の郵便局長として終えることになる生涯をどこか不遇と嘆く影があった。祖母ゆきは常に物差しを手から離さない人だった。やってくれば鬼女の形相で母芳美の家事のあら捜しをする。そのせいで、両親は若い頃離婚と結婚を三度繰り返したという。それでも鶴橋を筆頭に二男一女を生む頃は落ち着いて、仲人を二〇数組務める人柄もあった。小さな囲炉裏がある六畳間には頻繁に客が訪れて、ささやかな宴が張られた。そういう時、一家の希望の星として明るい長男を演じるのが鶴橋だった。時には祖父に抱かれ、祖母とも会話を交わして両親との間の暗雲を拭おうともした。
抜けるような青空の下に皆を引っ張って行きたい。大家族を再興したい。そのために自分は太陽でなければならない。
鶴橋は、まず自分を演出したのだ。
 小学校から大学へ、さらにそのサークルまでも太陽である兄を追い、同じコースを歩んだ弟、健司(現、新潟日報編集委員)は言う。
「私の記憶の中の故郷・新潟の空は低くて暗いんです。ところが兄の記憶では空までも青空だったと言います。喋りもうまく常に人の中心にいる人でした」
 自分自身や周囲だけでなく、少年の日の鶴橋は、空までも演出していたと理解していい。
社会人になり監督と呼ばれるようになってからも、鶴橋は実は演じる人でもある。例えば「鶴橋」という姓は芸名だ。結婚して婿養子に入ったから本名は別に在る。三〇代後半で経験した挫折以降は、片時もサングラスを外さない。かつてその偉才ぶりに業界や俳優からの羨望が高まりつつあった時、ワイドショーに飛ばされた。膨れ上がる制作費。その割に二〇%に届かない視聴率。どこからか聞こえてきた女優との艶聞。理由はいくらでもあった。この時鶴橋は直木賞作家・野坂昭如ショーを企画し、作家からサングラスを学んだ。世の中に対する「照れ」を覚えたのだ。
監督を演じるための三つめの武器は、サラリーマンの肩書きだ。何度もあった映画への誘いを蹴り、フリーへの野心を絶って胸に小さなテレビ会社のバッチをつけて給料を貰う身に甘んじている。それは保身ではない。野に在って奇才と呼ばれるよりも、組織に留まった方がその「異能」が引き立つ。演出家の本能がそうさせているのだ。
そして今でも自分が太陽だと公言して憚らない。常連の出演者を野球のラインナップになぞらえるが、ピッチャーは俺だと譲らない。浅丘、津川雅彦、三国連太郎、大竹しのぶ、役所広司、真田広之、清水美砂等をバックにするのだから贅沢だ。その上で、自らの先発完投、勝利のためには非情になる。

シーン3。豪華なマンションの一室。天井にはガレの照明。たくさんの造花。浅丘と記者(筆者)、監督。
浅丘「小さい頃から仕事をしていましたから、わたくしには出会った時から監督が何を撮りたいのか、どんな仕事をする方なのかすぐにわかりました。テレビでは、一人の人間像を追いかけて下さる初めての方でした。「魔性」という作品を撮った時、編集室にお邪魔したことがあります。そこで絵を観ていたら、自分の出演シーンに鳥肌が立ちました。わたしはこんなふうに写されていたのかって。凄い絵になっていました」
 監督、生徒のように神妙な表情。珍しく寡黙。

鶴橋は脚本作りの段階で、まず登場人物の履歴書を書く。住んでいる部屋、そこから見える風景、通勤の道のりまでイメージを広げて詳細に人物像を描いて行く。現場では役者に最低でも四回の演技を要求し、それを複数のアングルから撮って通常の二、三倍の絵素材を集める。だが演出家としての真骨頂は、次の段階にある。密室に篭り編集機を相手に、バッサリと絵を切り刻む。二四歳の時に始めての鶴橋と格闘して以降、鶴橋学校の生徒を自称する脚本家・野沢尚は言う。
「鶴橋さんはむしろ編集の人という印象です。たくさん集めた絵素材を、編集で時間をかけて丁寧に切って繋いでいきます。現場ではOKだった演技も、編集で容赦なく切って行く。厳しいですよ」
 大竹しのぶもまた、同じことを口にする。
「鶴橋さんは現場では優しいけれど、女優よりも自分よりも作品が大切なんです。ただそれだけです」
 だから浅丘が経験した「鳥肌」は、女優浅丘を一個の素材として手玉に取り、作品の中で全く新しい人格を生み出した鶴橋への敬意といっていい。
 七六年の出会い以降、浅丘は今までに鶴橋が撮る三本の連続物と一七本の二時間物に出演してきた。約四〇年に及ぶその芸歴に於いても、それらの作品群は鮮やかな輪郭を持っている。鶴橋の演出で浅丘は、アルコール依存症、自慰、レズ、果ては絞首刑で宙吊りになり失禁するシーンまで演じてきた。映画界での可愛い妹役や恋人役からは信じられない汚れぶりだ。だがこれらの演技が、八〇年代以降舞台で演じている谷崎潤一郎、泉鏡花、尾崎紅葉らを原作とする内なる狂気の原点になった。新しい鉱脈を見つけたのだ。
浅丘は、鶴橋のことをただ「監督」と呼ぶ。山田洋二のことは「山田さん」。代表作「憎いあンちくしょう」を撮った蔵原惟繕のことは「蔵原監督」さん。「監督とはもう五年間お仕事をしていません。中途半端な仕事はできませんから」とも言う。出演歴ではなく、空白の歴史を覚えているところに、鶴橋の存在が在る。
 もちろんその映像は視聴者にも深く突き刺さっている。例えば「新車〜」の記憶は、二〇年後の泉ピン子の中に残っていた。まだ地方を廻る芸人だった頃、泉はどこの街でも木曜夜一〇時はテレビの前に陣取った。
「監督、あの七話の別れのシーンでわたし泣いちゃったんです。でもなんであの車はあそこで左折できたんでしょうか。確か一方通行のはずなのに」
 後、九六年に鶴橋作品にゲスト出演した際、泉は鶴橋本人が驚くほど詳細にそのストーリーを語り出したという。あるいは昨年末の浅丘の帝劇の舞台の折り、鶴橋が陣中見舞いに顔を出すと楽屋に集まった加賀マリコや蜷川由紀が「新車〜」の主題歌を歌い出した。
 加賀は鶴橋に「今度「新車〜」を見る会をやりましょうよ」とせがんだ。鶴橋だけが当時のVTRを持っていることが、悔しくて仕方ない様子だったという。
こうした一連の作品により、鶴橋は芸術選奨文部大臣賞新人賞、芸術祭優秀賞、ギャラクシー賞等を受賞してきた。八〇年代はまさに鶴橋の時代だった。ところがいつの頃からか、息苦しさを感じるようになった。その存在と賞が、今のテレビ界では重過ぎるのだ。

シーン4。日本テレビ編成局室。電話で記者にインタビューを申し込まれる萩原編成局長。
萩原「えっ、鶴橋さんに関する取材ですか。ううん、系列局の人だけにちょっとねぇ。答えにくいな」
記者「では今鶴橋さんが撮っている作品の放送枠がどう決まったかだけでも教えていただけませんか」
萩原「あぁ「刑事たちの夏」ですね。(受話器を外し部員に)田中君、鶴橋さんの企画はどうなった?えっ、木曜日?よみうりさんの枠で消化してもらうのね。(再び受話器に)ウチの枠は企画が一杯で放送できないので、よみうりさんの枠で放送するようです」

 九〇年代に入ってから、テレビドラマ界には異変が起きた。視聴率三〇%を記録する「トレンディ」なるものが生まれてきた。脚本家とその時点での人気俳優の組み合わせが何よりも優先され、制作現場よりもプロデューサーの机上でドラマが創られるようになった。視聴率も、番組ごとの競争以上に「年間三冠王」「期首四冠王」という言葉で局全体の競争が激化している。キー局は系列局の番組内容にまで口を出す。秒刻みにCMの位置を指定してくることもある。
こんな時代、鶴橋にはきつい。企画は通りにくく存在は煙たがられ、予算は減った。九二年、それまで年間三〜四本は撮っていた二時間ドラマがTBS「渡る世間は鬼ばかり」に負けて消滅した。その後人気脚本家と組んだり、プロデュースに徹したこともあったがいづれも惨敗。視聴率だけでなく、内容的にも鶴橋の持ち味が出せなかった。リアルに人間の内面に迫ろうとする鶴橋の強い意志が、今のテレビ人に伝わらない。

シーン5。鶴橋、独白。
鶴橋「和歌山保険金詐欺事件の容疑者逮捕の朝、女性捜査員がドアを叩いて「林さぁん、おはようございまぁす」と紀州弁でいいました。この言葉に続いて大勢の警官がドドドッと雪崩込み、記者やカメラマンの靴音、怒声、カメラがぶつかる音が実にリアルでした。ところが後で編集されたニュース画面からは、そういう音が消えてしまっている。あれ、テレビは何でリアルから遠ざかっていくんだろうと思わずにいられませんでした」

これに対して高視聴率番組を創っているプロデューサーは口を揃える。「鶴橋さんが言われた紀州弁のリアリティーは相当勉強していないとドラマでは出せない」(山口雅俊、フジテレビ)「セリフであれば僕も落とすでしょう」(貴島誠一郎、TBS)(共に月刊民放九八年一二月号)
「テレビジョンとは、本来遠くの物を観るという意味のギリシャ語です」というのが、鶴橋の口癖だ。しかもカメラはどこにでも入り込み、リアルな絵を撮ることができる。それがテレビだ。だが今の制作者は、自らリアルを放棄している。そんなことよりも「F1」と呼ばれる一〇代後半から三〇代前半の女性を掴むのに必死だ。「遠く」といえば、地球の辺境ばかりが舞台になる。鶴橋へのインタビューを終えた夜、深夜のテレビでギニア高地の落差一〇〇〇メートルの滝を撮ってきた若手ディレクターが笑っていた。確かにその絵は美しい。迫力もある。だが所詮地球は有限だ。人間存在の闇の「無限さ」にはかなわない。若者の笑顔に鶴橋の苦渋の表情が重なって行く。
それでもこの冬、鶴橋の姿は現場にあった。

シーン6。「刑事たちの夏」撮影現場。照明の藤原武夫、コンクリートにお湯を撒いている。
記者「何をしているんですか」
藤原「足元に湯気を出そうと思ってね。そういう映像が監督の好みなんです。本当は特殊効果さんの仕事なんだけど、そんな予算はないからね」

 昨年末、鶴橋と二〇年以上組んできた「鶴橋組」と呼ばれるスタッフたちが久しぶりに招集された。正月四日には三〇分かけて鶴橋からの手紙が各々の自宅ファックスに届いた。それを見て、スタッフたちのロケの準備に拍車がかかる。通常の二倍の時間をかけて慎重にロケ地探しが行われ、人が実際に住んでいるマンションに四トン車二台分の美術品が運び込まれた。普段は使わない照明器材やカメラのフィルターも、鶴橋が黙っていてもスタッフが用意している。
現場には、役所、大竹、真田、古尾谷雅人といった豪華な常連に、山本未来、塩見三省といった新メンバーが集まって来た。このメンバーに普通にギャラを払ったら制作費はパンクしてしまうが、鶴橋がどんな自分を写してくれるのか、そのことを楽しみにギャラの相談なしにやってくる役者もいる。
 撮影が半ばになる頃、やっと放送枠が決まった。四月一日木曜日。夜九時からの二時間。今はバラエティー枠になっているが、かつて「新車〜」が放送された伝統のドラマ枠だ。対するは「渡る世間〜」。テレビ界の純文学と大衆小説の対決の趣だ。

シーン7。鶴橋、独白続き。
「僕は他のドラマに対抗して作品を創っている気はありません。一流の文学や映画と対峙できるものを創っている。率を追うよりも、人の人生に深く突き刺さるものを創りたい。映像で人を説得しきりたいんです」

 視聴率とは、詰まるところテレビ町内の運動会だ。隣町に現れた異なるメディアとの闘いの指標にはならない。それに対峙するためには、ソフトの質の向上しかない。鶴橋は、そのことだけを考えている。
現場に集まったスタッフ、キャスト全員の下腹に、鶴橋の太い声が心地良く響く。「ヨーイ、スターッ」
 定年まであと一年。それは鶴橋にとって、「テレビ監督」を演じきるための、闘いの狼煙でもある。


 

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