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宮城県・靴のささき

その靴づくりは、インタビューから始まる。 遥々新幹線とタクシーを乗り継いで宮城県加美郡加美町までやって来た客に対して、「靴のささき」四代目の佐々木康樹は一時間から二時間、長い時は三時間もかけて、その人が毎日どれくらい靴を履くのか、どんな行動なのかをそれとなく聞き出していく。
 足を触診しながら佐々木が言う。
「足裏のここにシコリができていますね。腰が痛くありませんか?」「立ち方が少しずれていますね。足の長さが違うかな。身体の左側に張りがありませんか?」
 続いてフット・プリントがとられる。これで足裏のどこに圧力がかかっているかが解る。
 佐々木が言う。
「ヒールの高い靴を履いている女性はどうしても体重が前にかかって、それを修正しようとするから立ち姿勢が悪くなるんです」
 足は第二の心臓とまでいわれるのに、それを包む靴との関係はあまり省みられてこなかった。デザインの好みや流行が優先され、〇・五センチ刻みのサイズを合わせるのがせいぜいだ。本当は、靴と足の相性が悪いから姿勢が乱れ、それが原因で腰痛になっているケースも少なくない。そんな場合は整形外科にいっても直らない。まず靴に対する考え方を直すことが先決だ。
 佐々木は触診しながらその人の足の状態を看破し、それに見合った靴を想像する。その後で木型作りが始まる。木型ができたらもう理想の靴はできたも同然だと言う。
「もちろん、そのあとに型紙製作や甲の部分の革を作る作業、甲革を木型に釘止めする作業、縫合、底付け等があります。でもそれらは流れ作業ですから、一番大切なのはインタビューと木型作りなんです」
 問題は、履き心地のいい靴、理想の靴を誰も言葉で説明できないことだ。本人ですらそれまでの経験則でしか語れない。
 これまで日本では靴のオーダーというと、足の長さと甲の高さを採寸して、あとはデザインと色を選ぶ程度だった。それに比べたら佐々木の作業は段違いで密度が濃い。注文によっては、仮縫いの段階でフィット感覚をみる為にトライアル・シューズを作る事もある。注文主はインタビュー時、仮縫い時、そして納品時と三回加美まで通ってくる。それぞれに微調整があるからだ。
 本当の理想の一足、自分自身の健康を守ってくれる一足と出会うためには、然るべき作業と時間、そして然るべき職人との出会いが必要だ。そういう靴と職人との出会えた幸運を、欧米では「ビスポーク」と言う。
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「それにしても人口一万五〇〇〇人のこの町で、オーダー靴の店が今までどうやって成り立ってきたんですか」
 今年になって取材に来た東京の靴専門誌の編集長が、佐々木に対して不思議な顔でそう聞いたという。
 無理もない。周囲に田んぼと工場が広がる町には、商店街とはいえ日中は人通りがほとんどない。二日間取材していても、訪れた客は一人だけだった。それでも佐々木の靴は現在オーダーストップ状態だ。今靴を注文しても、インタビューまでに約一年半、完成までに約二年は待たなければならない状態だという。
 いったいどこからお客はやってくるのだろう。
「ホームページです。五年前に、人に勧められてホームページを作ってみたんです。もちろん最初は私自身が信じていませんでしたよ。ホームページ? それ何? って。せいぜい注文が来ても、お隣の山形あたりからじゃないかと思っていたんです」
 九九年頃、佐々木は勧められるままに「靴職人の世界」というホームページを作ってみた。当初は誰も見て来れなかったという。ところがある日初めてメールがきた。「靴職人でも食って行けるのでしょうか」。二七歳の若者からだった。靴好きの人が見てくれているんだ。佐々木にはそのメールが嬉しかったという。
 その後一年ほどしてから、ポツポツと注文が舞い込む様になった。鹿児島から、北海道から、岡山から、新潟から。時には海外から。日増しに問い合わせや注文のメールが増えていった。佐々木が言う。
「驚きました。世の中にこんなにも靴が好きな人がいるとは。中には私よりも靴について詳しい人ともいましたから」
 ホームページ開設については、康樹だけでなく三代目、父の貞義も全く無関心だった。
 それまで貞義は、主に靴の修理と既製品の販売で店を切り盛りしてきた。オーダーで主流だったのは、外反母趾の人や足に障害を持つ人、あるいは脳梗塞で半身麻痺になったような障害者や病気の人からの注文だった。
 義貞と康樹が口を合わせて言う。
「中には生まれてから四十年間踵をついたことがないという人もいました。そういう人は、最初から自分に合う靴なんかないと思って表情が暗いんです。でも、うちの靴を履けば表情も明るくなりますよ」
 自治体によってはこの店と契約し、障害者への助成制度もある。それまでいつも暗い表情で外を歩いていた人が、佐々木の靴と出会うことで文字通り新しい人生を「歩み」始める。そんな事実があるから、既製品全盛の時代になっても手作り靴の製作を止めることができなかったのだ。
 例えば、岡山に住む老夫婦が二人でやって来たことがある。外反母趾に悩む妻の靴を作って欲しいという。岡山から飛行機で仙台へ、そこから電車で古川へ、そしてタクシーで加美へ。靴を注文し終えると、帰りの便は翌々日になるからと一泊して帰っていく。
「それでもご主人が奥様を連れてあちこち旅行したいそうなんです。求めている靴に出会ったら、楽しい老後になるじゃないですか」 できあがりの靴の事を話しながら、佐々木はこの仕事が楽しくて仕方ないという風情だ。かつて佐々木は仙台の靴店の営業マンだった。靴の製造現場を見ているうちに「この時代、手作りでも最後までやり通せば宮城県一になれる」と思って父親を説得して家に戻った。その日から約一七年。今では靴を手にしたお客様に喜んでもらえ、お金を貰って感謝される。その上時にはお土産までもらえるんですと笑う。作業台の上には、ネパールの神様であるヤクの骨で作った像の置物が飾られていた。これもお客様からのお土産だという。そのことを知らせるホームページにはこうある。
「この靴はお客様のお供でネパールに連れて行って戴きヒマラヤを見させて戴いた」
 つまり注文主にとって理想の靴は、佐々木にとっては子どもであり、自分の分身でもあるのだ。
        
−−−佐々木さんは大リーグのイチローを見ると自分と似ていると思いませんか?
 インタビューの途中、そう訊ねてみた。
 えっ、何でですか? 佐々木は怪訝そうな表情を浮かべた。
 何故なら、佐々木の仕事ぶりを見ながら、この人の靴づくりは仕事ではないなと思ったからだ。靴づくりは生きること。生き甲斐の為の靴づくりだと感じた。
 イチローも常々野球は仕事ではない、人生そのものだと語っている。二人の姿はどこか似てはいないだろうか。そう説明すると、それはわかりませんがと言いながら、佐々木はこう付け加えた。
「私はイチローさんを見ながら、自分もいつか世界に挑戦したいとは思います。日本の靴職人の腕は驚く程凄いんです。うちの初代や二代目の仕事も凄いし、東京の専門店に残る職人の仕事も凄い。革は確かにヨーロッパのものがいいけれど、仕上げの腕は日本の職人です。何故かヨーロッパの靴ばかり祭り上げられていますけれど、日本職人の腕を、私は世界に紹介したいとは思いますね」
 佐々木では、五〇年前に二代目が作った靴の修理を頼まれることがある。もちろん持ち主の手入れがいいからだが、当時の靴は修理されることを前提に作ってあるからそういう奇跡が可能になる。
 そんな事実が目の前にあるからだろう。佐々木には「野望」があるという。
「近いうち海外向けのホームページも作る予定です。そしたら海外からの注文も来るはずです。いずれはもっと山奥に引っ込んで、年に一〇足程度、本当に求められる靴を作るような生活をしてみたいと思っています」
 その技が世界で語られるようになる日も、そう遠い夢ではなさそうだ。


 

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