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清原和博2

  打球がセンターに抜け、一塁を駆け抜けた時に見せた清原和博の照れたような表情。「いやぁ二〇〇〇本安打はホームランで決めたかった」。そんな本心が剥き出しになったその笑顔に、永遠の野球少年の姿を見たのは私だけではないだろう。
 入団時と比べると一五キロ程太ってしまったとはいえ、松井秀喜の老成感、イチローの冷徹さに比べると、清原の無邪気さは引き立つ。事実清原は、シーズン中でも他球団の後輩達にバッティングのアドバイスをしたり、バットをプレゼントしたりする。どの球団に所属しようとも、同じ広場で野球をやっている限り仲間だと信じているのだ。
 だが「やんちゃな野球少年」であるがゆえ、清原にはアスリートとしての厳しさにコンマ数パーセントの甘さが残ってしまうのもまた事実だ。二〇〇〇本安打にしても、あの八五年の夏の甲子園を体験し、入団一年目の三一本のホームランを目撃した者には余りに「遅過ぎた」。
 例えば清原は、時折桑田に指摘されることでもあるが、タバコを吸う。肉体改造トレーニング中は禁煙するが、普段はストレス解消のためか時折タバコを手にすることがある。あるいはケビン山崎が指導する鶏肉中心の食事メニューにしても、何日かに一度は好きなものを好きなだけ食べる。酒もまた、独身時代に比べたら格段に減ったとはいえ、今も酒豪であることに変わりはない。
 私は清原が師と仰ぐヒクソン・グレイシーの自宅を取材したことがある。彼は一切アルコールは口にしない。食事も週に一、二回赤身の肉を食べるだけ。あとは鶏肉中心のメニューを子どものころから徹底している。その父のエリオの自宅で振る舞われたのはお手製のチーズとオリーブオイルをたっぷりかけた野菜食だった。サイボーグのようなあの肉体と己を信じきる強い精神は、二代続く節制の賜物なのだ。
 その代わり、ヒクソンやその姿に酷似したイチローは、私たちの感情移入の対象ではない。永遠の野球少年という清原の等身大のヒーロー像は、アスリートとして鍛え上げた九九・九%の先に、どこか人間臭さが残るからこそのものだ。そして少年であり続けるために、清原は大人の知恵を拒否している。私は、西武入団時から彼の経理面をアドバイスしてきた関係者にこんなことを聞いたことがある。
「あの頃清原君は、俺は野球以外には興味がありませんときっぱり言っていました。だからこそ彼は、今も純粋に野球に打ち込める環境にある」
 八六年入団の清原は、バブル経済の真ん中を駆け抜けてきた世代だ。周知のように桑田真澄をはじめとして、副収入を期待して投資を行いそれが裏目に出た選手や監督は少なくない。ある意味で彼らは、生活のためにプレーする者たちだ。
 ところがあの時代でも、清原は「俺は野球以外で儲けるつもりはない」と言い切り、投資には見向きもしなかったという。
 入団時、清原の口座からは湯水のように車の修理代や洋服代が消えて行った。自宅のウォークイン・クローゼットには、溢れるようにスーツがかけられている。けれど清原が所有する不動産は現在のマンションだけ。それも住宅ローンを組んで手に入れたものだという。
 今も清原は、大切にしている家族を除けば野球以外の興味は車程度のもの。野球以外の金儲けにも無関心だ。逆に言えば、野球という収入に執着する必要がないから、いつでも辞めることができる。だから清原が打席に立つのは生活のためではない。純粋にプレーする喜びのためだ。だからこそ私たちは、彼に永遠の野球少年の匂いを感じるのだ。
 一人の少年が、一九年間かけて二〇〇〇本のヒットを打ち続けてきた。私の友人で清原とPL野球部で同期だった新聞記者は、高校一年時の練習試合で清原が仲田幸司から放った右中間二塁打が忘れられないという。それは余りに美しい軌跡は、リトルリーグの中心選手だった彼に選手への道を断念させるものでもあった。あるいは近鉄の中村紀洋は、高校時代目撃した日生球場での清原の左中間場外のホームランが野球選手としての原点だと語っていたことがある。
 二〇〇〇本は確かに遅かった。けれどその分だけ、より多くの人により深い記憶を残した。さぁ、次はあと一〇本に迫った五〇〇号ホームランだ。清原の兄貴長渕剛は、その時のためにプレゼントを用意しているという。
 もう一度野球少年の純粋な笑顔が見たい。いつまでもあの少年の笑顔を見続けていたい。
 野球を愛する者の純粋な願いが、今日も背番号5に向けられている。


 

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