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清原和博1

−−−それにしてもここまで孤独が深いのか。
 ある時私は清原和博を前にして、しみじみとそう思ったことがある。二年前のシーズン当初、港区にあるケビン山崎のトレーニングジムを訪ねた時のことだ。それまでは笑顔を零しながらトレーニングしていた清原が、いざインタビューをと向きあうと、とたんに能面のような無表情になった。突撃ではなく広報を通し、場所と時間を指定してきたのは清原なのに、だ。
「マスコミは嫌いなんですか」。
 思わず最初にそう訊ねた。すると清原は、渋い表情のままに言った。
「インタビューは嫌いやし恐いんです」
 三億円もの年収があり二〇年近くプロ野球の中心に座り続ける男が、インタビューが恐いと言う。能面の表情は怒りではなく、畏怖だったのだ。
−−−番長と恐れられるそのイメージは、むしろ仮面だったのか。
 私はその言葉から、清原の意外な内面を垣間見た気がしたものだ。
「おーい、まだ清原は降りて来ないのかぁ」
 ここ数年毎週火曜日の夜、講談社の編集者、船川輝樹はデスクからそう催促されるのが半ば習慣になっていた。
「もう少し待って下さい。あと少しで降りてきてくれそうですから」
 船川がウーンと唸ると、ある瞬間天から清原が降りてきて、その筆に宿って語り出す。記者3名、カメラマン2名が一週間清原に張り付いて集めた膨大な情報と、独特な岸和田弁の語り口が人気の「番長日記」。九七年以降定着した「番長」という清原のニックネームは、この苦悩の中から生まれたものだ。
 どんなに松井秀喜やイチローが打ちまくっても清原の記事以外に連載紙面はもたない。それは同誌に限らず、マスコミ界では常識だ。
 ただ哀しいのは船川が代筆する清原の「心情」は、番記者にすら容易に本心を語らない清原の本音を載せる唯一の記事だったことだ。
 ある時船川は鳥肌が立つほど驚いたことがある。二〇〇〇年のこと。渡辺恒雄オーナーが「清原なんかいないほうがいい」と発言して物議を醸したことがあった。
 この時船川は「その言葉一生忘れへんで」という意味の台詞を書いた。すると数年後、清原の口から同じ言葉が漏れた。
「あの時は書き過ぎかと思ったのですが、僕は清原の心情を言い当てていたんです」
 船川にとって、今では清原は戦友のような感触があるという。

                          
 とはいえ「番長」という強面のイメージは、あくまでマスコミがつくり上げたものではないか。事実、私のインタビュー中清原は一度もワシともワイとも言わなかった。試しに何人かの取材記者に訊ねても、私が得た感触は彼らにも共通するものだった。
「清原はスーパースターというよりも、むしろ等身大のヒーローだと思います」。
 スポーツライターの美山和也は言う。
「頑張っているのに怪我してしまう。努力しているのに結果が出ない。西武入団時の涙の記者会見からして、思うようにいかない僕らの人生の代弁者だと感じていました」
 船川も「代筆者」の立場を離れれば、同じニュアンスの言葉を口にする。
「誰だって会社に嫌な上司っているじゃないですか。不本意な異動だってある。そんな上司や会社を見返したいと思う時、読者には清原の存在が浮かぶんだと思います」
 船川自身、昨年の春に別の部署に異動になった。もっと清原を書きたいのにという思いが、言葉の端々に伺える。
 私にも覚えがある。清原の肉体改造トレーニングのことを、生産工程から無駄をなくす工場改革中の製造業の工員たちに話した時のこと。彼らは涙を浮かべてこう言った。
「挫けそうになりながら頑張っているのは僕らだけじゃないんですね。あの清原もそんなに必死なんですか」
 番長と恐れられながらも、本当は気が小さくナイーブで心優しき男・清原和博。いかつい表情から誤解されがちだが、毎年毎試合毎打席、いやマスコミに対しても、震えるような気持ちで対峙する生身の男がそこにいる。
 だからこそ、その姿は多くの共感を呼ぶ。何故ならそれは、挫折の淵から「再生」しようともがく現在の日本人の心情を、鏡のように映しているからだ。
 そう思えば四日の第一打席で決めた二千本安打は、多くのファンの声援の賜物であると同時に、もう一つの意味もある。
 清原は全身で表現しているのだ。頑張れ日本人。挫けるな日本。やればできるゼ、と。


 

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