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長渕 剛
'04桜島オールナイト75000人コンサートレポート
「夢の力」

 「オールナイト・ライブを発表してから二年間、いちからの整地から本番まで、長い気がしていたけれどいざその当日を迎えると、やはり短かった気もします。  オールナイトをやってみて、わいてきたのは心からの感謝の気持ちです。  はるか遠方からやってきて、朝まで拳を突き上げてぐさたファン、そしてブルドーザーで整地して汗を流してくれた人たち、桜島の皆さんの理解に本当に感謝します」
 街に秋風が立ち始めた頃、関係者を通して私の元に長渕剛からのメッセージが届いた。
 八月二一日の夜から二二日の日の出にかけて、長渕の故郷桜島で行われたオールナイト・コンサート。あのコンサートからすでに約一カ月が過ぎた。けれど私の中には、あの日「目撃」した朝焼けの桜島の深いブルーの色合いが脳裏に残っている。もちろん約九時間全四二曲を歌いきった長渕の姿は感動的だった。けれどそれだけではなく、あんなに多くの人間を見続けた一二時間もなかったと感慨深いものがある。
「いかに人間の力をもう一度信じるか」
 長渕もまた、人間にこだわった。すでにすっかり太陽が頭上に登った午前六時半。最後の曲「Captain on The Ship」のラストのリフレインが耳にこびりついている。
「生きろ! 生きろ! 生きまくれ!」
 もちろん、生きることはかっこいいことじゃない。泥にまみれ、社会という名の誤解の海を、たった一人で泳いでいくことでもある。
 コンサート会場でも、いろいろな人間模様が展開された。例えば私の目の前で、開演直前になって警備員と喧嘩を始めた若いカップルがいた。
「これじゃ客席に入れないじゃないか。通せよ」。突然係員が張り出したロープは、何故か客席へ向かう通路を塞いでいた。男の子の怒りはもっともだ。ところが係員は頑にロープを解こうとしない。男の子は怒りの余り切れて「もう帰ろう」と荷物を投げ出した。必死にその手を繋ぐ女の子はなきじゃくりながら一生懸命に取りなしている。「せっかく来たのに帰ったらもったいないじゃない」。その時だった。夜空に数十発の花火が谺し、突然巨大なエンジン音と共にハーレーにまたがった長渕が、二人の目の前を疾走して行ったのは。
「何だ特等席だったじゃん。来て良かった」
 一転して拳を夜空に突き上げ始めるカップル。いつかこのことは二人の中で、貴重な体験になっていくのだろう。七万五千人がそれぞれに驚きとトラブルを体験し、だからこそ思い出深いコンサートになっていく。
 ふと気がつくと私の隣には、二歳ぐらいの男の子をベビーカーに乗せた若いカップルがいた。六曲目に「激愛」が始まると、ベレー帽姿のお母さんがオペラグラス片手に少しでも前の客席に行こうと駆け出した。残された赤ちゃんとお父さんは、ボー然とするのみだ。
 きっとその曲は、二人の恋愛時代のシンボルだったに違いない。
「舌を噛み切ったからみあう口唇の中 二人はよじれあい激しく揺れていた」
「激愛」を聞きながら二人は愛を育んだのだろう。だからこそ、深夜のコンサートでも子どもを連れてきたかったのだ。この歌であなたは命を授かったのよ、と。長渕さん見て、と。
 全ての歌を聞かずに、この家族は日付がかわらないうちに帰って行った。長渕の歌声がその背中を優しく包む。そう、朝までここに居るだけが全てではない。自分の生き方の中で、状況の中で、長渕と思いを一つにすればいい。満足そうなカップルの表情を見ながら、私はそう納得していた。
「お元気ですか? 僕が鹿児島へ入ったのはライブ二日前の一九日でした」
 もう一人紹介したい男がいる。スコット・アルガード。カナダに生まれ、一〇代の頃ホームステイにきた北海道で長渕剛の歌と出会い、カナダ・ビクトリア大学の卒業論文を「日本のポップスター長渕剛の詩を通して見た日本社会の変化」とした男だ。
 スコットは桜島で目撃した風景を、こう綴ってくれた。
「二日前の時点ではもう、鹿児島の街が長渕ファンで溢れていました。独り者、カップル、友達同士で来た小グループなど、いろんな人間様がリュックや旅行鞄をぶら下げて、街の中を歩いていました。ライブもまだ二日後だというのに、その風景を見て、長渕の説得力に感動したのです。全国から七万五千人の旅人を集められる力強さに、僕は圧倒されたのです」
 もちろん、深い感動を味わったのはスコットだけではない。開演前に喧嘩したカップルも、赤ちゃんを連れてきたカップルも、会場に足を踏み入れる前から、鹿児島へ、桜島へと歩みを進める「自分自身の行為」に、ある種の感動を覚えていたはずだ。
 その感動は何だったのか。スコットは、七万五千人は、そして私は何故あの大地であんなにも熱くなったのか。
 このコンサートを本当に歴史的なものとするために、私はその「何故」に分け入ってみたいと思う。
                         

「オールナイトライブを通してファンに伝えたかったのは、人間の可能性。デジタル社会の中でアナログな発想を成功させたかった。足で歩き、目で確かめ、汗をかく。自分自身の達成感よりも人間って最高じゃないか? ということであり、もっともっと人間が好きになった!!」
 メッセージの中で長渕はこう続ける。
 何が長渕にとっての「アナログ」だったのか。このコメントは、ラジオ出演中のものだから、その行間を読まないと長渕の真意は伝わって来ない。
 例えばそれは、こんな事実から読み取ることができる。
 桜島コンサートを行うということが長渕の口から発せられた約二年前。一斉に桜島の下見に入ったスタッフたちは、口々に長渕にこう報告したという。
−−−桜島にいいグラウンドがありました。あそこなら七万人も可能です。
−−−フェリー乗り場近くにもいい場所が在ります。あそこなら観客誘導もスムースです。 それに対する長渕の答えは、ことごとくNOだった。やがて長渕が会場に指定したのは、当時はまさに「荒野」と呼ぶしかない溶岩採石場跡。しかもそこは、フェリー港から徒歩で三〇分はかかる場所にある。長渕を長く撮り続けているカメラマン大川○一郎によれば、そこは八七年「STAY DREAM」のツアーの鹿児島公演を打ち上げた翌朝、長渕が錦江湾の防波堤に座ってじっと眺めていた場所だという。もう一七年も前から、長渕の中で、まだ見ぬ桜島コンサートは「そこ」に決まっていたのだろう。
 けれどそれは余りに無謀だ。誰がどうやって整地するのか。炎天下三〇分も歩いたら、倒れるファンも出てくるのではないか。
 それだけではない。東京からやってくる観客のことを考えて、宿泊を含めた団体ツアーを組もうという声にも長渕はNOだった。
「過去の成功はいらない。困難な未来を切り拓きたい」
 そう言ったという。
 つまり桜島というテーマを与えられた時、スタッフは遠来からの七万人という膨大な観客の為に「便利」や「効率」を求めようとした。大人の判断だ。
 けれど長渕は、そんなことよりも「本質」を突き詰めようとした。桜島の本質とは何か。それはでっかい太陽が登ってきた時に、ステージが正面からそれを迎え、七万五千人がその背中を朝焼けに照らすことだ。太古の時代から繰り返されてきた大自然の摂理に、たった一夜だけれど生身の人間が溶け込んでいくこと。そのためには、例え今はそこが荒野であろうとも、俺たちは「そこ」で出会わなければならない。しかも自力で。困難を乗り越えて。そこそが「約束の地=プロミス・ランド」なのだから。
 それがこのコンサートに対する長渕の「アナログ」な発想だったのだ。
 そのメッセージを読みながら、私はある人が語った一つの言葉を思い出していた。
        


「シンボリック・アクション」。
 それは八〇年代後半から九〇年代半ばにかけて、F1レース界である年は一六戦中一四勝もする程に圧倒的な強さを誇ったホンダの総監督、桜井淑敏が語る言葉だ。
 桜井はF1界を引退してから、バブルにはじけた日本経済を嘆きながら繰り返し繰り返しこう言い続けていた。
「年に何百億円もかけるF1は確かに壮絶な無駄なんだ。けれどその一見無駄に見えるチャレンジを続けることで、組織も人間もレーサーも、それまで使っていなかった脳や筋肉やシステムを否応なく使うことになる。だからこそ、人の可能性が試される。新しい技術が開発される。その姿勢がファンに伝わって、ホンダは若々しいイメージを獲得していく。つまりF1は企業が世界に発信するシンボリック・アクションなんだ。日本はそのことを忘れてしまっている」
 事実ホンダでは、当時F1に勝利すると南米や北米の田舎の方から車が売れて行ったと聞いた。桜井は当時としては画期的な衛星回線を使った通信網を実現し、レース中の車とレーサーの全情報が瞬時に和光市にある研究所に届けられるシステムも開発した。
「情報の共有化」。
 それは今でこそ当たり前のシステムであるけれど、当時は画期的な発想だった。生命体の情報伝達を模したものであるのだと、桜井が自慢げに語っていたのを思い出す。
 当時のF1界は、ホンダが勝つたびにヨーロッパ勢が牛耳るFOCA(世界自動車連盟)がレギュレーションの変更を通達してきた。露骨にフェラーリやベンツを勝たせたかったのだ。
 だからホンダに過去の成功の繰り返しはありえなかった。あったのは困難な未来だけだ。その困難を打ち破った時こそ新しい人間が、組織が、システムが、技術が現れる。シンボリック・アクションは、そのためにある。
 私の中で長渕の言葉と桜井の言葉が重なったのは、そんな意味からだ。
 そう、長渕の試みは、だから日本へのシンボリック・アクションだったのだ。
         


「桜島では、長渕は観客一人一人に「話し」かけていただけでなく、社会全体に訴えを告げている様にも感じました」
 スコットの手紙はこう続く。
「今回のライブで僕が最も感動したのは、第二部の「JAPAN」から「静かなるアフガン」への流れでした。「oh Japan−−−」この国の事を真面目に考えてくれ! 私たちはどこへ行くの? この国の将来を我々がどう導ければ良いの? こんなメッセージが伝わってきました。今の時代の中で、「JAPAN」のメッセージは、唄がリリースされた一〇年前よりももしかすると重大になってきているのでは? と思ったのです。そして「静かなるアフガン」。日本も視野に入れ、世界の事を考えようよと長渕がステージから訴えていました。そして命の大切さや、戦争の愚かさも。この唄に乗って心に染み渡ってきたのです。僕には、ヴィジョンで流れていたビデオが特に良かったです。アメリカの戦争、日本の戦争、テロや様々な形の「死」。−−−今回のライブで最も瞳が潤ったのは、この六分間でした。今では珍しくなったポップカルチャー界から社会派の叫びを力強く吠え続ける長渕の存在が、日本にとっても、世界にとっても実に重大であると、改めて思ったのです」
 スコットはスコットの言葉で、この国の現状を憂い、社会の風潮を嘆いている。その思いが長渕の歌に重なり、「長渕は世界において重要だ」という感想に昇華した。
 私がコンサートで最初に驚いたのは、開始早々二曲目に「泣いてチンピラ」を歌ったことだった。その曲は、「ガンバレニッポン、ガンバレニッポン」と叫ぶリフレインが印象的だ。ちょうど時期的に深夜のオリンピック放送で聞き慣れたフレーズではあるけれど、長渕はその後のMCの中でもオリンピックに対してはひと言も言及しなかった。今はそんな場合ではない。本当に俺たちの国の行方はどうなるのか。俺たちが変えなくて誰が変えるのかと、長渕は叫んでいたのだと私は思う。
 同時にスコットの手紙を読みながら感じるのは、「ライブはまだ二日後だというのに」もう鹿児島に到着している自分の行為に、ある種の感動を覚えていることだ。たぶんあの日桜島に集まった七万五千人が文章を書けば、長渕の歌やその存在への讃歌だけでなく、そんな「自分自身の行為」への満足が書かれるのではないかと私は思う。
 それは、確かに壮絶なる無駄だった。そして、そこに参加しただけでは何の意味もないことでもある。けれど、それでも敢えてそこに参加した者だけが得られる感動が、確かにあった。
 つまり七万五千人にとっても、長渕のコンサートはシンボリック・アクションだったのだ。何よりも自分自身を変えるための。目の前の日常を過去の繰り返しではなく、新しい未来の一歩にするための。
 だからこそ、長渕のメッセージはこう締めくくられている。
「桜島は自分の終着駅ではなかった。だから、もう、走り始めている」
 コンサート直前まで「桜島は自分の死に場所になるかも」と言っていた男が、あの感動を越えてもう走り始めているという。長渕が一番わかっているのだ。「壮絶な無駄に命をかけたからこそ、次の一歩が大切なのだ」と。
 シンボリック・アクションが本当にシンボリックであるためには、日常の中にその精神が息づいていかなければならない。私たちも長渕から受け取ったメッセージを自分のメッセージに書き換えて、日々、唇に乗せていかなければ。それこそが人間の使命だ。
 極上のシンボリック・アクションを体験した私たちには、今こそ、夢の力が問われている。


 

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